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羽生善治が語る「“将棋とAI”の10年」 ビジネス界より先に活用、だからこその変化

» 2025年12月12日 08時30分 公開

 生成AIは、多くの事業領域に変化を与えている。その波をいち早く受けてきたのが将棋界だ。将棋界では、AIが棋士よりも強くなった10年前から、いかにAIを駆使し、研究するかが競争に打ち勝つカギとなっている。

 AIによって、これまでなかった定跡や構想への考え方が見つかったり、現在の形勢を客観的に数値化したりできるようになった。将棋という頭脳スポーツそのものが変化を迎えている。こうした変革は、生成AIを前提に仕事の進め方を見直すビジネスの現場とも地続きだ。

 将棋界の先例から、ビジネス界はAIといかにして向き合い、パートナーとしていくべきなのか。AIスタートアップであるエクサウィザーズ主催のイベント「AI Innovators Forum 2025」で、同社エグゼクティブアドバイザーの石山洸氏と、棋士で日本将棋連盟前会長の羽生善治氏が対談した。

棋士で日本将棋連盟前会長の羽生善治氏

AI活用が“当たり前”になった10年 楽しくなったこと、つまらなくなったこと

石山: 将棋界は、AI導入が早かった業界の一つだと思います。囲碁で初めて棋士を破った「アルファ碁」の登場から約10年、AIとともに仕事をしてきたこの期間を振り返ると、自身の気持ちや捉え方に、どんな変化がありましたか。

羽生: アルファ碁が出た当初は囲碁ソフトが先でしたが、その翌年に「アルファゼロ」が登場し、その中で将棋ソフトも公開されました。2時間の学習で市販ソフトに勝ち越した結果は、当時かなり大きなインパクトがありました。そのとき、棋譜としては昔から存在していた手なのに、「なぜこの手を指すのか」が人間には全く理解できないものがたくさんありました。そこから、一局一局を実戦で試し、研究し、分析を重ねることで、少しずつ意味が分かってきたという時期がありました。

 この約10年で大きく変わったのは、AIを使って研究や分析をすることが、今や当たり前になってしまった点です。わざわざ「AIを使っていますか」と確認する人はほとんどおらず、使っているのが前提になりました。ただ、どのような使い方がベストなのかについては、いまだに試行錯誤が続いている感覚です。

 また、今のルールになってから約400年積み上げられてきた定跡や知識体系が、AIの登場によって大きく書き換えられました。全てがひっくり返ったわけではありませんが、かなりの部分の見直しが、現実に起きたと思います。

棋士で日本将棋連盟前会長の羽生善治氏(左)と、エクサウィザーズ エグゼクティブアドバイザーの石山洸氏

石山: この10年、AIの波にさらされる中で、モチベーションはどのように変化しましたか。ビジネスの現場でも今、似た状況にありますが、楽しくなった、つまらなくなった点も含めて教えてください。

羽生: 過去に自分が学んだことや記憶してきたこと、研究してきたことのかなりの部分がAIの登場によって無駄になってしまったように感じて、虚しさを覚えたことは確かにあります。一方で、人間だけではとても到達できなかったような分析や、思いもよらなかった新しい一手を数多く発見できた側面もあって、そこは逆にモチベーションが上がる部分だと感じています。

 また、人間にはどうしても盲点や思考のブラインドサイドがありますが、その部分がAIによって補正されている感覚もあり、そこもモチベーションが高まるポイントです。ただ、AI登場以前は「この手も可能性としてあるのではないか」と、ある種ロマンを感じながら考えられた部分が、今は全て評価値や数値として即座に出てしまうので、その点は少し息苦しさやきつさを感じることもあります。

石山: かつては必死に山を登っていたのが、今はロープウェーで一気に頂上まで運ばれてしまうような状況になっているのではと思います。そうした中で、楽しさの質が変わってきた感覚はありますか。

羽生: そうですね。より「奥深いところを探す」という方向に楽しさの質が変わってきた感覚はあります。掘削技術が進歩して、これまでは掘れなかった層まで掘れるようになった、というイメージに近いかもしれません。その一方で「何を調べるか」「何をやるか」を選ぶこと自体が非常に難しくなってきています。将棋はもともと膨大な可能性を秘めたゲームですが、その無数の可能性の中から、自分がどこを選び、何を研究するのかという選択が、以前よりもはるかに難しくなった感覚があります。

生成AI時代のリーダーシップと現場回帰

石山: 羽生さんは日本将棋連盟会長を退任して、あらためて棋士一本の立場に戻りました。企業の中でも社長でありながら、自らAIの要件定義をしていて現場にも出ている経営者もかなりいます。そうした中で、羽生さんもまさに現場に復帰したわけですが、どのようなモチベーションだったのでしょうか。

羽生: 2025年6月まで会長職を務めていましたが、現在は棋士としての活動に専念しています。その前は、対局をしながら連盟の運営にも関わっていましたので、時間の使い方や意識の配分は大きく違いました。全く異なる2つの役割を同時に担うこと自体が、ある種のモチベーションになっていた面もありますが、その任期を終えたことで、今は1つのことに集中できる環境になりました。新たな気持ちで将棋に向き合う時期に入っていると感じています。

石山: 会長を経験したあと、再び棋士として盤に向かうと、以前との感覚の違いはありますか。

羽生: 自分は棋士になって今年で40年になりますので、将棋界のことはだいたい分かっているつもりでいました。しかし、連盟の上の立場を経験して初めて見えたことがかなりあり、「将棋界全体の構造はこうなっていたのか」と腑に落ちた部分がありました。それが将棋そのものにどう影響してくるのかは、正直なところまだ分かりませんが、自分の中で大きな心境の変化があったのは確かです。

石山: 多くのビジネスパーソンにとっては、ChatGPT登場前後で仕事の進め方が大きく変わりました。将棋界では、ChatGPT以前と以後で何か大きな変化はあったのでしょうか。それとも、アルファ碁やアルファゼロから続く流れの延長線上という感覚でしょうか。

羽生: 将棋の盤上だけで言えば、ChatGPTの前後で大きな変化があった印象はあまりありません。AIの強さはずっと右肩上がりで伸びており、その流れ自体は変わっていないと感じています。一方で、運営や組織マネジメントの面では、まさに今、皆さんと同じように、生成AIをどう導入し、どう活用していくかを模索している段階です。その意味では、将棋界も一般の企業の皆さんとほぼ同じ環境にあると言えるのではないかと思います。

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