本稿は、1月19日にエクサウィザーズが開催した「リテール業界向けAI/生成AIセミナー」を取材したもの。
かつて40分を要していたExcelの集計作業が、わずか2分へと短縮された。この「時短」を実現したのは、Excelが得意な担当者でもエンジニアでもない。自らを「デジタルアレルギーだった」と明かす、イオングループのバックオフィス担当者だ。
従業員数約62万人、多様な業態を抱える巨大流通グループ、イオン。同社がいま取り組んでいるのは、生成AIを「トップダウンで導入する」のではなく、現場の「小さな不便」を起点に根付かせる「草の根のDX」だ。
「全社一律の導入というやり方は、あえて取りませんでした」
そう語るのは、DX人材育成の旗振り役であるICT企画チーム イオンデジタルアカデミー担当の沖中優宜氏。入社以来、長らく店舗の最前線で「魚をさばいてきた」という現場の叩き上げだ。現場の悩みをよく知る沖中氏は、生成AIの導入において、何を重視したのか。
多くの大企業が「PoC(概念実証)止まり」で足踏みする中、イオンはいかにして、IT未経験者を「AIを使いこなす側」へと変貌させたのか。2026年1月に行われたセミナーでの沖中氏の講演から、巨大組織における「生成AI実装」の正解を探る。
劇的な成果を上げたのは、あるバックオフィス部門の担当者だ。その業務は、複数のシステムから出力されるデータをExcelで加工・集計すること。コロナ禍以降、キャッシュレス決済の拡大などでデータ量は増え続け、人件費高騰も相まって効率化が急務となっていた。
一方で、その担当者は「DX知識ゼロ」「デジタルアレルギー」と語るほどITが苦手だったという。転機となったのは、後述する「イオンデジタルアカデミー」との出会いだ。生成AIを使えば、Excel自動化のコードを書かせることができると知り、勉強会やコミュニティーに参加。試行錯誤を重ねながら、自身なりの「生成AIとの向き合い方」を見つけていった。
「知識がなくてもいい。やりたいことを細かく分解して、しぶとく聞き続けることが重要だと思いました」(バックオフィス部門の担当者)
2カ月後、生成AIが書いたVBA(定型作業を自動化するマクロ)コードを動かすことに成功。さらにワークフローを自動化するPower Automate Desktopと組み合わせ、40分かかっていた作業を2分に短縮した。時間短縮だけでなく、人的ミスが根絶されたことも大きな成果だ。現在は、自身が学ぶ側から教える側へと立場を変え、勉強会の講師や部内DX推進を担っているという。
こうした「個々の社員のDX」を支える仕組みが、2021年に立ち上がった「イオンデジタルアカデミー」だ。担当の沖中氏自身、鮮魚売り場からキャリアをスタートし、店舗責任者を経てデジタル部門へ異動した経歴を持つ。
「現場にいたからこそ分かるのですが、大きな仕組みとは別に、各店舗や部署にはDXされないまま残っている『小さな不便』が、本当にたくさんあります」(沖中氏)
イオングループはM&Aを重ねて拡大してきたため、業態や文化、業務フローは会社ごとに異なる。トップダウンで整備された共通アプリの裏側で、今も膨大な手作業が現場を支えているのが現実だ。
「現場の一人一人が自分の課題を自分ごととして解決できる世界をつくりたいと考えました」(沖中氏)
同アカデミーの特徴は、対象を限定しない点にある。経営層から店舗のアルバイトのメンバーまで、グループで働く全ての「イオンピープル」が対象だ。デジタル活用に「気付く」きっかけとなるウェビナーや、コミュニティーを提供し、高度なスキル習得よりも「まずは一歩踏み出すための環境づくり」を重視している。
2023年、イオンでも生成AIの導入検討が本格化した。経営層が費用対効果やリスク対応を急ぐ一方で、現場には「使ったことがないので分からない」という戸惑いがあった。「期待とリスクのギャップ」を埋めるため、同社が選んだのは、全社一律導入ではなく「安全な環境で、まず試す」アプローチだった。
外部パートナーと連携し、約1000人が参加できる検証環境を挙手制で提供。各現場から「こんな使い方ができそうだ」「ここがうまくいった」という声が次々に上がり、ニーズを可視化していった。
活用が進む中で、同社はある壁にぶつかる。当初はよく使われているプロンプトを集めて共有すれば、一気に利用が広がるはずと考えていた。だが、結果は想定と異なったという。
業種・業態があまりに多様なイオンでは、例えば同じ部署でも業務内容が大きく異なる。さらに、同じプロンプトを打っても、毎回同じ回答が返ってくるわけではないため「自分の業務にフィットしない」という声が相次いだ。そこで同社は再び原点に立ち返る。「プロンプトを配る」のではなく「生成AIにどう向き合うか」という姿勢そのものを共有する方向へ舵を切ったのだ。
その象徴的な取り組みが、現場メンバー自身を講師にしたオンライン勉強会だ。生成AIを日常業務で使っている社員が登壇し、成功事例だけでなく「こう失敗した」「ここでつまずいた」といった等身大の経験を語る。
「専門家の成功事例より、隣で働く人のリアルな話の方が響きました」(沖中氏)
この勉強会は現在、月に一度、昼食の時間帯に開催。1回あたり約1000人が参加を希望する人気コンテンツとなっている。同時に、生成AI活用者が孤立しないようコミュニティーづくりにも注力。エラーの相談から、上司への説明方法、個人情報の扱いまで「今さら聞けない」ことも気軽に話せる場を育て、先述した成功例が生まれる土壌を整えてきた。
現場の「ちょっとした不便」を起点とした試みは、さまざまな好影響を与えている。総菜売り場での音声による商品番号確認や、多言語ポップの自動作成など、本部主導では生まれにくい発想が現場主導で具現化しつつあるという。
「業務改善以上に、これまで当たり前だと思っていた作業を『課題だと気付ける人』が増えたことが最大の成果」だと、沖中氏は振り返る。「これもAIでできるのでは」と考えられるようになる、その意識の変化自体が次の改善を生んでいるという。
今後の展望は「生成AIを使う人」から「生成AIを使って作る人」を増やすことだ。要約やアイデア出しにとどまらず、業務プロセスそのものを設計できる人材を育てたい。そのためには答えを与えるのではなく、考え方の提示と挑戦する姿勢を育てることが必要だ。
「主役はテクノロジーではなく、現場の社員。小さな課題を自ら解決できる文化を育てていきたいと考えています」(沖中氏)
人口減少やコスト高騰に直面する小売業において、生成AIはまだ「魔法の杖」ではない。しかし、現場が自らの課題に気付き、試行錯誤を重ねるための「補助輪」としては、計り知れない可能性を秘めている。
イオンの取り組みが示すのは、最新技術の導入速度よりも、いかにして現場と結び付け、文化として根付かせるかという視点だ。生成AI活用の成否を分けるのは、ツール選定よりも、人と組織の「向き合い方」だといえる。
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