全国各地で閉店が相次ぐ百貨店。そうした中、専門店街ビルに姿を変えるなど業態転換することで生き残りを図ったり、百貨店時代に培ったさまざまなリソースを活用し、百貨店ではない分野に主業を変えたりする元・百貨店企業がある。祖業から百貨店へと転換したのち、再び祖業へと回帰した例や、百貨店で扱っていた「意外な一商材」に商品を絞って生き残りを図ったケースもある。
前編では主に「百貨店ならではの立地」という強みを生かして業態転換した「生まれは百貨店」の企業を紹介した。
今回は一見すると見えにくい資産である「百貨店時代に培われた老舗の経験」を使い、変身を遂げた元・百貨店を紹介する。流通業界が大きな転換点を迎える中、暖簾を下ろした百貨店たちはどのように生まれ変わったのか。
都市商業ライター。大分県別府市出身。
熊本大学・広島大学大学院を経て、久留米大学大学院在籍時にまちづくり・商業研究団体「都市商業研究所」に参画。
大型店や商店街でのトレンドを中心に、台湾・アニメ・アイドルなど多様な分野での執筆を行いつつ2021年に博士学位取得。専攻は商業地理学、趣味は地方百貨店と商店街めぐり。
アイコンの似顔絵は歌手・アーティストの三原海さんに描いていただきました。
前編では、呉服店から百貨店、さらには総合スーパーへと業態転換したものの、ドレス・冠婚葬祭関連業を主業に変えて全国展開を実現した元百貨店企業「渕上」(渕上ファインズ、福岡市)を紹介した。
このように、百貨店を営んでいた企業やその後継企業が主業である百貨店を手放したのち、百貨店時代のノウハウを生かすかたちで事業の縮小や業態特化をして屋号を存続させている事例はいくつか見られる。
それらの多くは、もともと呉服店や洋品店などを発祥として、消費の近代化に伴い百貨店化したものの、激しい競合にさらされたり、旗艦店が大手百貨店の系列となるなどして運営企業の手を離れたりしたことから、自らの強みと経験を生かす戦略に舵を切ったものだった。
例えば、大分市で1934年に開業した「一丸デパート」は、1652年創業の呉服店を起源とする東九州初の百貨店だが、第2次世界大戦の影響を受け閉店。後発のライバル店「トキハ」が鉄筋コンクリートの耐火構造で焼け残ったのに対し、一丸デパートは建物ごと空襲で焼失してしまったこともあり、百貨店としては営業を再開せず、屋号もそのままに★婦人服ブティックの「いちまる」★として生まれ変わった。
「いちまる」はかつて百貨店があった大分市中心部の竹町商店街に2店舗を展開。高度経済成長期、商店街の近隣にジャスコやニチイなど多くの総合スーパーが出店し、集客力がアップ。「いちまる」は商店街きってのオシャレスポットの一つとして知られた。特に本店である「モードスクエアいちまる」の店内には高級婦人服がそろい、ショーウインドウも設置されるなど「百貨店」だった面影を強く残していた。
百貨店よりもブティックとしての歴史の方がはるかに長くなったいちまるだが、時代は移り変わり、競争の激化などによって2025年に倒産。呉服店から続く400年近い歴史に幕を下ろすこととなった。
このように、祖業のノウハウを生かし「百貨店らしい商材に特化」した元百貨店は、婦人服店となった「イチムラ」(新潟県、市村百貨店→ダックシティイチムラ)や呉服店となった「中村」(大分県別府市、中村百貨店→別府近鉄百貨店)など、他にも全国各地に存在した。
しかし、多くは「個人商店やそれに近い規模」に留まり、時代の流れに抗えず閉店。小規模店に転換・業態特化して屋号を残した元百貨店のうち、2026年現在も残るのは「ユニフォーム専門店」となった「サカモト」(千葉県木更津市・茂原市、サカモト百貨店→サカモトそごう→木更津そごう、かつては系列スーパーも運営)などごくわずかだ。
“良かれと思った施策”が裏目に バブルを生き延びた「べっぷ駅市場」で何が起きたのか?
イマドキの駅ビルにはしない 別府の商店街が、あえて“昔ながら”を貫いたリニューアルの全貌
大阪のオフィス街・淀屋橋が一大観光地に? 展望施設が生む“人流と価値”の方程式
大量閉店のヴィレヴァン かつての“サブカル王者”が失速した「3つの誤算」とは?Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング