生産拠点のオフィスはこれまで、コストとして扱われる「間接部門」と位置付けられることが多かった。しかし今、その役割は企業の競争力を左右する戦略拠点へと変わりつつある。
イトーキが滋賀工場で実行した大規模リニューアルは、工場を「価値創出の場」として再構築する挑戦だ。滋賀県の葦(ヨシ)や花崗岩といった地域資源を活用した空間設計と、データドリブンな運用改善を掛け合わせることで、地方工場オフィスの新たな形を示している。
空間演出に携わった同社ワークスタイルデザイン統括部の松木陸氏に、その設計思想と「地方から始まる空間DX」の可能性について聞いた。
今回の舞台は【求人は4倍、離職率“半減”、働く意欲は8割超に 「イトーキ滋賀工場」の“壁を壊す”空間戦略とは?】でレポートした、滋賀工場内の事務棟を全面改修して誕生した共創拠点「ITOKI DESIGN HOUSE SHIGA」だ。
建物は4層構造になっている。1階は「展示・対話」(社外共創)、2階は「開発ラボ」(MR・人間工学)、3階は「執務」(没頭と検証)、4階は「リフレッシュ」(偶発的交流)と、フロアごとに明確な役割を定義している。
松木氏は、その中心となる3階の執務フロアの設計をメインで担当した。同氏が所属するワークスタイルデザイン統括部は、イトーキが目指す「明日の『働く』を、デザインする」というミッションにおいて、中核的な役割を担う部門だ。物理的なオフィス環境の提案を通じて、顧客企業の人的資本経営やエンゲージメント向上に取り組んでいる。今回のプロジェクトでは、自社工場のリニューアルを担当した形だ。
品質保証・管理、工務課や技術課の執務がある3階を担当した松木氏。環境設計のキーワードは「没頭」だったという。「ただ単にパーティションで囲まれた自習室のような空間にはしたくない。自然環境の中でインスピレーションを引き起こすような柔らかい環境を作りたい」。そんな思想の元、具体的な空間として形にしたという。
もう一つの大きな特徴が、データ活用を前提とした空間運用だ。レイアウトは完成形ではなく、今後データを活用しながら自由に変更できる設計としている。松木氏は「私自身、この工場で働いた経験はありません。だからこそ、感覚だけで完璧な設計はできないと思っています」と話す。
今後は位置情報データ、従業員アンケート、エンゲージメント指標などを組み合わせ、定量的に分析しながら改善を重ねていく予定だ。「最初から100点は無理。でも70点を80点、90点へと近づけることはできます。データがあれば、感覚ではなく根拠を持って改善できるのです」(松木氏)
リニューアルの目玉は、事務スペースにとどまらない「現場の価値」の可視化だ。松木氏は「レイアウトとは、偶発的なコミュニケーションを生むように設計された戦略である」と定義した。
松木氏と同僚であるワークスタイルデザイン本部の吉野美穂氏も「まずは部門の業務を分析し、プロセスを可視化しました。その結果、円滑に進めるためには、ラボ機能やコミュニティ型のコラボレーション空間が重要だという結論に至りました」と話し、円滑な連携に不可欠な「ラボ機能」や「コラボレーション空間」を新たに配置したという。
1階の品質試験室で、小窓越しに商品を見せる設計も導入した。
「先進的な海外メーカーでは、品質テストを公開することでブランドへの信頼を高める取り組みが増えています。イトーキも自社商品の品質に強い自信があるからこそ、検査工程をあえてオープンにし、来訪者や社員に『可視化』する設計にしました」(松木氏)
松木氏は「製造業にとって価値創出の源泉は工場にある」と考えている。その視点から、生産ラインにも目を向けるという。「今の生産ラインの働く環境はモノづくりをする上で問題があると思っています。生産ラインで実際に手を動かして製品を作る方によりフォーカスした環境にしたい。そういう工場の新しい在り方を見せられると思います」
地方でモノづくり企業の人材獲得競争が激化する今、生産現場の環境品質を高めることは、単なる改装ではなく「ここで働きたい」と思わせるための重要な経営戦略だ。自らの仕事の価値を実感できる環境は、結果として社員のエンゲージメント向上に直結する。
データで効率を追う一方で、人の感性を刺激するのが滋賀ならではのデザインだ。今回の設計は、滋賀の地域資源を活用した。中でも注目されたのが、琵琶湖周辺に自生する葦だ。
本来の美しさを生かすため、刈り取った葦をそのままドライフラワーへと加工。滋賀の自然に包まれているような空間を創出している。
「西の湖を訪れたとき、自然のままの葦が一番美しいと感じました。加工して整えるよりも、この形そのものを生かして空間に取り込めるかを考えました」(松木氏)
葦は景観資源である一方、定期的な刈り取りが必要で、地域の環境課題にもなっている。従来は茅葺屋根や簾として活用することが多かった。今回は葦をドライフラワーとして空間に取り入れる新たな手法に挑んだ。収穫時期や乾燥方法について専門業者と対話を重ね、前例の少ない手法を確立したという。
「単なる装飾ではなく、地域と働く人をつなぐ存在として葦を使いました。空間に入った瞬間、無意識に滋賀を感じられるような仕掛けです」(松木氏)
また、滋賀産の花崗岩も活用した。信楽焼の土の源となる花崗岩を粉砕し、家具素材に混ぜ込むアップサイクル手法を採用。松木氏も「地域の素材を主役にできないかと考えました。粉砕してみたら、家具の表情がぐっと豊かになった」と話す。
この設計思想は、他の地域にも展開可能だ。熊本なら火山灰、北海道なら木材、沖縄なら地域固有の植物など、土地ごとの資源を置き換えられる。「これをそのまま横展開するのではなく、『こういう考え方もできる』と提示したかった」と松木氏は強調する。
松木氏が設計指針として掲げたのが、近江商人「三方よし」の考え方だ。「売り手よし、買い手よし、世間よし」という理念は、自らの利益だけでなく、顧客と社会全体の幸せを追求する経営哲学を示す。江戸時代から受け継がれてきた商いの心得であり、現代のサステナビリティ経営にも重なる、共存共栄の本質を体現する思想だ。
作り手と売り手だけが利益を得る構造ではなく、この工場を通じて環境や社会に具体的な価値を生み出す。その実践を積み重ねてこそ、プロトタイプは社会に広がり、持続可能なモデルへと成長していく。社会との調和を前提に、価値を創造し続けることが、次の時代の標準を形づくる鍵となるのだ。
本プロジェクトは、地域課題の可視化、素材の循環利用、そして共創による価値創出を横断する実証実験といえる。
「地方だからこそできる表現があるはずです。地域性を前面に出したオフィスが、日本全国に広がれば面白いと思っています」(松木氏)
これまで運営を支える部門と見られてきた地方工場オフィスは、いまや企業の競争力を高める戦略拠点へと変わりつつある。その変化を滋賀から始め、やがて全国へ広げていく。
重要なのは、このモデルをそのまま横展開することではない。「こうした取り組みも可能である」という選択肢を示すことだ。各地域が固有のプロトタイプを創造していくことに意義がある。日本のものづくり企業が進むべき新たな方向性を具体的に示した事例だ。
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