一方で、企業側が「自由」を強みとして訴えてしまう要因には、2つの理由がある。
管理職に就いている人の多くは、マニュアルのない厳しい環境下で自ら仕事を作り出し、試行錯誤しながら暗黙知を獲得したという成功体験を持っている。そのため「自由を与え一から考えさせることこそが最大の教育であり、若者に対する敬意である」と信じている。自分たちと同じやり方で失敗や経験を経て成長してほしいと願っているのだ。
フラットで風通しの良い組織を目指して「自由」をうたう企業もある。しかし、実態が伴っていない企業も少なくない。特にリソースの少ない中小企業は「自由」を掲げる一方で、自由を支える具体的な制度設計や評価基準、マネジメントなどのノウハウがない。結果として育成が現場に丸投げされ、形骸化してしまう。
現代の若者が重要視しがちな「タイパ至上主義」は合理的である一方、致命的な自己矛盾を内包している。
まず「偶発的学習機会」を排除してしまうことだ。
ジョン・D・クランボルツ教授が提唱した「計画的偶発性理論」によれば、個人のキャリアの約8割は「予期しない偶然の出来事」によって形成される。ビジネスにおける真に高度な意思決定能力や課題解決能力は、一見非効率に思える「他部署との泥臭い調整」や「トラブルへの対応」といった暗黙知を身に付ける過程で養われる。これらを「タイパが悪い」と切り捨てる姿勢は、自らのキャリアの可能性を著しく狭める結果を招く。
営業の現場で、効率を重視するあまり「顧客を訪問するヒアリングを最小限に抑えよう」と考えることがある。そのほうが短時間で提案書が仕上がるからだ。もちろん、こうしたほうが良いこともある。
しかし、実際に足を運んでみると「この課題は思っていたことと全然違った」「この担当者の本音はここにあった」という新たな気付きが生まれることは少なくない。一見非効率に見えるこのプロセスを徹底して省くことは、提案の深みや独自性が薄くなる。
それだけではない。効率を求める姿勢は、別の形でも現れる傾向がある。
それは、考えるプロセスそのものをAIなどに代替させてしまうことによる、能力のコモディティ(汎用・代替可能)化だ。
AIや効率化ツールは、自らの頭で考え、試行錯誤する中で使ってこそ、私たちの可能性を広げてくれる「最高の道具」となり得る。しかし、便利だからと考えるプロセスそのものをAIなどに代替させてしまうと、自らの思考力は確実に退化する。やがて、AIに容易に代替される「コモディティ人材」へと自らを追い込んでしまう。
キャリアの浅い人材が「タイパ至上主義」にこだわり過ぎると、泥臭い現実の試行錯誤という、本質的に人を成長させるプロセスを避けてしまう恐れがあるのだ。
一見無駄に見えるプロセスの中から、ある日突然予期せぬアイデアが生まれるように、地道で非効率な「プロセス」そのものに愛着を持ち、格闘するからこそ、現代において独自の強みとなる人間性や市場価値、そして仕事に対する本質的なモチベーションが宿る。効率化は正義だが、効率化だけが正義ではないのだ。
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