レクサスが求めた「街の石材店」 「捨てる石」がブランドになった逆転の発想アセットの「再定義」(2/4 ページ)

» 2026年07月13日 07時30分 公開
[大久保崇ITmedia]

墓じまいの時代に、家業を継いだ4代目

 稲垣石材店の歴史は1927年、初代の稲垣清市氏(4代目の曾祖父)が石像を彫る職人として独立したことに始まる。2代目の時代には石像と墓石づくりの2つが主力事業となり、3代目の父の時代には墓石の事業が売り上げの9割以上を占めるようになった。

 だが、その墓石市場はこの20年ほど縮小を続けている。バブル崩壊後、庭を彩る石像や灯籠といった嗜好(しこう)品の需要は落ち込み、庭付き一軒家から集合住宅へと住環境も変化。さらには、墓を撤去して管理を終える「墓じまい」が広がり、100万〜200万円かけて家の墓を建てることが当たり前ではなくなっていった。

稲垣石材店(画像:稲垣石材店 公式Webサイトより)

 稲垣氏が家業を継いだ2016年も、そうした逆風のさなかにあった。当時は同業の間にも「斜陽産業だから子どもは戻ってこなくていい」という空気があり、店をたたむ石材店も少なくなかったと稲垣氏は振り返る。

 それでも同氏は、まず墓石の枠内で新しい需要を起こそうと、夫婦それぞれの実家(両家)が一緒に入れる墓や、墓じまいのサービスを1〜2年ほど試した。ただ、いずれも会社を支える新しい柱になるほどの手応えはなかった。

「捨てる石」を加工したら商品になった

 家業を継いだ当初、稲垣氏の主な仕事は、墓を建てる現場の手伝いや会社の掃除、そして墓石の加工で出る端材を組合が運営する処分場へ運ぶことだった。「石を捨てに行くたびに、素人考えかもしれないが『もったいない』と感じていました」と、稲垣氏は振り返る。

 何かに活用できないかと、空き時間を使って端材に穴を開けてペン立てを作ったり、職人に頼んでペーパーウェイト(紙が飛ばないようにする重し)に加工したりしていた。

 長く倉庫に眠っていた石の器をフリーマーケット程度の価格でネットショップに出品してみたところ、その商品を見た神戸のステーキ店のシェフから「石の皿を作ってほしい」と依頼が舞い込んだ。さらに、金沢のミシュランの星付きすし店からも「石のすし台(すしを提供する際に使う台)を作れないか」と問い合わせが入った。

すし台(画像:INASE 公式Webサイトより)

 稲垣氏は当時、中小企業向けの無料相談窓口「岡崎ビジネスサポートセンター」に事業の相談を重ねていた。その中で「処分している端材」「高級店から寄せられたオーダー」「創業以来培ってきた加工技術」という3つの要素を組み合わせれば、新たな事業になるのではないかという考えに至る。

 そうして、石の器ブランド「INASE」が誕生した。

 ブランド名の「INASE」は、創業者の稲垣清市氏が石材店仲間から「イナセ」「イナセさん」と呼ばれていたことに由来する。稲垣石材店を縮めた呼び名で、創業者への敬意も込めて採用した。また「粋(いき)で威勢がよい」という意味を持つ「いなせ」という言葉の響きにも魅力を感じ、ブランド名に重ねたという。

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