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伊勢名物「赤福」が売れない……ピンチ救った“白餅・黒餅”が生まれるまで

» 2026年07月16日 07時00分 公開
[濱川太一ITmedia]

 伊勢名物の「赤福餅」――毛筆体で「赤福」と書かれた桃色の包装紙が印象的な餅菓子は、言わずと知れた銘菓だ。製造・販売を手掛ける赤福(三重県伊勢市)は、江戸時代に創業して以来、伊勢の地で「のれん」を守り続けてきた。

 土産物の定番として不動の地位を築いていた赤福だが、コロナ禍で苦境に立たされた。外出の自粛によって伊勢を訪れる人が減り、赤福餅が売れなくなったのだ。事業をいかに守るか――当時、会社を支えた赤福の12代目社長・M田朋恵氏は「変えてよいものと、守るべきものがある」という姿勢で、新商品の開発を成功させた。

 同社は、看板商品である赤福餅の味はそのままに、時代に応じて商品や事業、組織の在り方を柔軟に変えながら“赤福ブランド”を300年以上も継承している。赤福の変化と、新商品が生まれた裏側について、M田社長が語った。

photo 伊勢名物の赤福餅(出所:赤福のプレスリリース)

 本記事は人材サービスのビズリーチ主催イベント「BizReach Conference」(7月1〜2日開催)の講演「変わらないために、変わり続ける ―創業300年の老舗企業が実践する、100年先を見据えた人事戦略ー」をもとに構成したもの。


300年以上愛される「赤福餅」が生まれた瞬間

 赤福の創業は1707年。伊勢神宮の門前に立つ茶店として、参拝客に餅菓子を提供してきた。赤福餅の印象が強いが、それ以外の商品も時代に合わせて世に送り出してきた歴史を持つ。

 江戸時代は砂糖が貴重だったため、創業当初は「塩あん」を使った餅を販売していた。当時の餅は現在のような嗜好(しこう)品ではなく、旅人が歩き続けるための食事で、今でいう「ファストフードに近い存在」だったとM田社長は説明する。その後、黒糖が普及すると甘みを加えた赤福餅を販売するようになった。

 明治時代には、伊勢神宮を訪れる昭憲皇太后(明治天皇の皇后)から赤福餅の用命があった。特製品を提供しようと、当時貴重だった白砂糖で炊いたあんを用いたことをきっかけに、現在につながる赤福餅へと発展していった。

 昭和に入ると、毎月1日に「朔日餅」(ついたち餅)という季節限定商品の販売をスタート。和菓子を通して日本文化や季節感を伝えることも大切な役割と自任してきた。伊勢神宮への参拝客を迎えてきた土地だからこそ、和菓子を単なる商品ではなく、日本文化を伝える存在として位置付けている。

 M田社長は「時代に合わせて赤福も変わってきたからこそ、続いてきました」と語る。

photo 赤福のM田朋恵社長(撮影:編集部)

赤福餅が売れない……ピンチ救った“白餅・黒餅”が生まれるまで

 近年、赤福が直面する課題が人口減少だ。赤福の顧客は、大半が日本人。人が減れば、市場が縮小していく。その未来を漠然と想像していたところに、コロナ禍が訪れた。「いつか来ると思っていたことが、目の前に差し迫ってきました」(M田社長)

 コロナ禍で外出や旅行の自粛が広がり、伊勢を訪れる人が激減したことで、赤福餅が売れなくなった。一方で、小豆やもち米は契約農家から調達しているため、原材料は予定通り納入される。餅が売れなければ、その原材料が余ってしまう。

 そこで同社が知恵を絞って生み出したのが「白餅黒餅」だった。

 「300年間餅菓子屋として一筋でやってきたのだから、餅菓子でお客さまに喜んでいただこう」――そんな思いで生まれた白餅黒餅は、江戸時代の黒糖あんを再現した黒餅と、希少な白小豆を使った白あんを組み合わせた商品だ。

 「お土産として持っていく時に『白餅黒餅は珍しいから』ということで、今まで赤福餅を1つしか買わなかったお客さまに買ってもらえるのではないかと考え発売しました」(M田社長)

photo 新たに開発した白餅黒餅(出所:赤福のプレスリリース)

 珍しさから新商品を手に取った人が、なじみの赤福餅も一緒に買う。結果として、1人当たりの購入点数が増えれば、余っていた原材料も活用できる。そうした狙いが的中し、原材料を無駄にせず顧客に届けることができた。

 変えることは、伝統を壊すことではなく、むしろ伝統を守るための手段であるという考え方が表れた象徴的な商品だった。

守り続けた社是「赤心慶福」

 変えるべきところは変えた一方、変えなかったところもある。

 その一つは、社是である「赤心慶福」(せきしんけいふく)という言葉だ。真心をもって相手に接し、喜んでもらうことが自分たちの幸せにつながる――という意味で、社名の由来にもなっている。

 この社是に加えて「赤福餅はおいしい」と言ってもらえる品質も譲れない。

 守るのは、この2つだけだという。それ以外は、時代や顧客に合わせて見直していく。

 例えば、本店の店内飲食用に提供する赤福餅の数を変えた。以前は1皿3個だったが、ボリュームがあるため1個残す客が少なくなかった。餅でお腹を満たすのではなく、伊勢うどんなど地域の食を楽しんでもらいたいという考えから、1皿2個へと変更した。

 こうした判断の出発点になるのは、現場で働く社員の声だ。

 客が「餅の数が多い」と感じているのか、それとも満足しているのか。毎日接客している社員だからこそ分かることがある。その声を聞きながら、提供方法を見直してきたという。

歴史があるほど「挑戦に慎重」になる? 赤福の対策は

 歴史ある企業には、長く働く社員も多くいる。だからこそ、新しい挑戦には慎重になる場面もある。300年以上続く赤福ではどうしているのか。M田社長は、自社だけで結論を出そうとはしないと語る。

 外部人材やコンサルタントなど、異なる視点を持つ人たちを交えながら議論を重ねる。社内だけで考えていると「これまでこうだった」という発想に固まりやすくなるためだ。

 もちろん、新しい取り組みに反発が起きることもある。それでも対話を重ねることで解決できるのは、目指す目標が一致しているからだという。

 こうした考えの延長線上に、和菓子ブランド「五十鈴茶屋」の展開や、赤福グループの伊勢福(三重県伊勢市)が運営する観光スポット「おかげ横丁」での文化発信などがある。和菓子だけでなく、工芸や芸能、食文化まで含め、日本文化を次世代へつないでいくことも、赤福の役割だと考えているとM田社長は話す。

赤福のM田社長が語る「企業の醍醐味」

 歴史を守るために、変えるべきところを変える。その大切さについて、M田社長は伊勢神宮を引き合いに出して次のように説明する。

 「伊勢神宮では、20年おきに天照大神様の御社(おやしろ)を建て替える『式年遷宮』を行います。建築技術などを継承するために、わざわざイチから社殿を建て直す。(一度壊して新しくということは、変えながら守るということ。)これが日本文化の継承の仕方です」

 伊勢神宮の式年遷宮は、1300年以上続いている。それに比べれば、赤福の300年は通過点の一つにすぎないと考えるM田社長。この先の歴史をつくるために特別なことをしようとは考えていない。

 目の前の客に真摯(しんし)に向き合い、一緒に働く社員と知恵を出し合う。その積み重ねを続ける。それが結果として400年、500年へとつながっていくと考えている。

 「意志のあるところに道は開ける」――M田社長が大切にしている言葉だ。赤字が35年間続いた「五十鈴茶屋」の立て直しに向き合った際、この言葉に支えられたという。

 「やると決めて考え続ければ道は開ける。そして結果が出た時の喜びを、みんなで分かち合うことが企業の醍醐味(だいごみ)です」

 守るべき価値は見失わず、時代に応じて変え続ける。その積み重ねが、300年以上続く赤福の強みになっている。

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