途中には最愛の妻が亡くなってしまう悲劇にも直面しますが、悲しみをバネに研究を続け、1900年(明治33年)に「合わせ目のない鉄管」を安定生産することに成功。大阪市の水道工事にクボタの鉄管が採用されました。そして1904年(明治37年)には国内で初めて水道管の量産が実現。「鉄管のクボタ」として、地位を確立しました。
この「社会に役立つものをつくらなあかん」という創業の精神こそが、クボタという企業のDNAに深く刻まれています。
クボタは、常に人類が直面する最も根本的な課題である「食料・水・環境」に向き合ってきました。戦後の食料難の時代には、日本の農業を機械化によって効率化し、食の安定供給に貢献するために小型耕運機の開発に乗り出しました。
戦前に培った自動車製造の技術と、農耕用エンジンの技術を活用して、1947年(昭和22年)には耕うん機を発売。その後、国産初のトラクターも発売し、1960年代には全国に普及していきました。
それまで牛や馬を使い、人の手で泥にまみれて行われていた 農作業を、機械の力で劇的に変えたのです。これは大阪の商人がお客さんの困りごとを解決するために知恵を絞るお節介の精神が、農業という巨大な産業分野で発揮された形です。
現在、クボタのトラクターやコンバインは世界中の農地で活躍していますが、クボタの強みは単に機械を売るだけではない点にあります。
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