なぜ「ほぼAI」のエイベックス・松浦noteは絶賛されたのか 発信者に問われる「その人である必要性」(1/3 ページ)

» 2026年08月28日 08時00分 公開
[城戸譲ITmedia]

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著者紹介:城戸譲

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1988年、東京都杉並区生まれ。日本大学法学部新聞学科を卒業後、ニュース配信会社ジェイ・キャストへ入社。地域情報サイト「Jタウンネット」編集長、総合ニュースサイト「J-CASTニュース」副編集長、収益担当の部長職などを歴任し、2022年秋に独立。現在は「ネットメディア研究家」「炎上ウォッチャー」として、フリーランスでコラムなどを執筆。政治経済からエンタメ、炎上ネタまで、幅広くネットウォッチしている。


 生成AIによって、情報や経験を文章にして発信するハードルは大きく下がった。一方で、誰でも一定水準の文章を作れるようになったからこそ、「コンテンツの価値はどこから生まれるのか」が改めて問われている。ほぼ同じ時期にnoteをめぐって起きた2つの出来事から、AI時代の発信者に求められるものを考えたい。

AI時代、コンテンツの価値についての議論が活発化している(ゲッティイメージズ)

「AI要約」はなぜ批判を浴びたのか?

 1つ目の話題は、IT分野の有識者が投稿した記事をめぐる議論だ。その投稿は、ある技術者が書いた専門的な解説記事をAIで要約し、自身の知見を添えて紹介したものだった。しかし「他人の一次情報に依存しすぎている」「発信者固有の価値がないまま自身のコンテンツへ読者を誘導している」と批判を浴び、記事が削除される事態に発展した。

 投稿者は「情報自体に著作権はなく、紹介として筋を通している」旨を主張したが、議論は平行線をたどった。ここで問われたのは、単なる著作権という法的な可否ではない。「他人が調べ上げた一次情報を要約するだけなら、なぜこの発信者を介して読む必要があるのか」という、発信者自身の存在意義だったのだ。

 SNS上では「AIを使った文章作成」の是非がよく議論される。編集やライティングに携わる人の多くは「文章は人間が書くべきだ」という感情を抱きがちで、読者の側にもそうした傾向はある。そのため「実はAIで書きました」と明かせば、評価が下がるケースが多いだろう。

 しかしそうした見方を覆したのが、もう一つのnote事案である。

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