Xaraのオープンソース化の失敗から得られた教訓Magi's View(3/4 ページ)

» 2007年10月23日 15時10分 公開
[Nathan-Willis,Open Tech Press]
SourceForge.JP Magazine

2つの問題点

 Xaraは、まず第一に表面的な問題点――CDrawをクローズドにしておくことの重大性――について間違っていた。Xaraが主張していたことは要するに、同社が「全コード」をリリースしないからといっていったい何の問題があるというのか、ということだ。つまりXaraはコードの90%をリリースしていたのだから、何から何までをリリースした場合に得られるはずの見返りの最低でも90%は得ることができるはずではないのか、ということだ。

 しかしソースコードは、計り売り可能な干し草の山とはわけが違う。公開されていない10%が全体をまとめている部分である場合には、90%といえどもゼロに等しい――そして開発者コミュニティーはCDrawはまさにそういう部分だと考えていた。CDrawはアドオン的な機能なのではなく、Xara Xtremeの中心的な部分だったのだ。またCDrawは、Xaraにはリリースすることのできない、Xaraがサードパーティーからライセンスを受けたサードパーティーの所有物であったわけでもない。つまりXaraが自分たちだけで所有して自分たちの管理下に置くために、Xara自身がクローズドのままにしておくことを決めていたのだ。

 とはいえ、より根本的な問題点は表面的なものではない。Xaraは、開発者コミュニティーが従って動くべきルールを規定する権利が自らにあると考えていたが、そうではないのだ。コミュニティー内の開発者たちは、それぞれが自ら好んで自発的に参加している。そのような開発者たちの行動を許可したり禁止したりする命令を一方的に行うことは、関係を壊すことになる。Xaraは、コミュニティーが受け入れがたいと感じるようなルールを決めた。しかしより重要なこととして、コミュニティーの意見に耳を傾けてそれに適応するということを拒絶した。それにより、(開発者コミュニティーはみなボランティアなので)彼らには参加してコードに取り組む動機がなくなってしまったのだ。

 開発者コミュニティーと協力して対等な関係で協働することをしなかったことで、Xaraは結局、ボランティア全員を(自らの手で追い払ってしまい)失ってしまった。そして2007年2月になってやっとXaraがオープンソースのCairoレンダラに移植したXara XtremeのSubversionブランチを公開することに同意(翻訳記事)したときには、勢いを維持するのに十分な数の開発者を引きつけることができなくなってしまっていた。

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