Xaraのオープンソース化の失敗から得られた教訓Magi's View(4/4 ページ)

» 2007年10月23日 15時10分 公開
[Nathan-Willis,Open Tech Press]
SourceForge.JP Magazine
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オープンソースプロジェクトにとって「終わり」とは?

 最近、プロジェクトは終わったのかとメーリングリスト上で誰かが尋ねたところ、あるXaraの社員が、リリースされたソースコードはまだXaraのWebサイト上でダウンロード可能になっているのだから、終わってはいないと主張した。「申し訳ないが、わたしは何か理解し損なっているのだろうか? Xtremeがあなたのマシン上で突然動かなくなってしまったということなのか? そうでなくても何か変化があったというのか?」。

 確かに今でもXara XtremeのGPLの部分を利用して野心的な開発者が開発を継続するということが可能であることに違いはないが、そうすることの動機となるようなことはほとんどない。コードを書いて把握している本人である著作権保持者も参加しておらず、ほかのオープンソースのベクタグラフィックスプロジェクトの活発なコミュニティーの方がずっと魅力的な存在となっている。

 さらに言えば、Xara Xtremeの2006年のリリースであるバージョン0.7は、多くのLinuxディストリビューション上で今でも動く「可能性がある」とはいえ、コアシステムライブラリが進化するのにともなって、やがてはビット腐敗に悩まされることになるだろう。そしてある時点で動かなくなり、SourceForge.netなどのプロジェクト用ホストサービス上でいまなおダウンロード可能にはなっているが放棄された状態の何千というアプリケーションのようになるだろう。

 当然ながらXaraにはまだ、同社の開発者をオープンソースプロジェクトに戻すか、Xara Xtremeのソースコードのすべてを公開するかのどちらかを行うことにより、プロジェクト全体を生き返らせることができる。ただ、Xaraにその意思はないようだ。

 オープンソースコミュニティーと協力することを考えている企業は、Xaraのこの経験から少なくとも2つの教訓を得ることができる。1つは、ボランティアをアゴで使うことはできないということだ――よくても彼らははあなたの下を去ってしまい、最悪の場合はあなたのライバルに協力することになる。

 もう1つは、コミュニティーと協働するということは、適応して自らを変えようとすることであるということだ。コミュニティーは、事前には思いも寄らなかった方向に動くかもしれない。そのときコミュニティーの意見に耳を傾けたり適応したりすることを拒否すれば、おそらくコミュニティーを殺してしまうことになるだろう。

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