中外製薬が取り組むデジタル基盤強化 「新薬づくり」にどうデジタルを活用している?DX Summit vol.13 レポート

医療ニーズの増加や疾患の複雑化などヘルスケア業界を取り巻く環境は大きく変化している。新薬創出や新型感染症のワクチン、医療品の安定供給などの期待に応えるべく、中外製薬が取り組むのがデジタル基盤の強化だ。

» 2022年10月05日 09時00分 公開
[斎藤公二ITmedia]

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 現在、製薬、ヘルスケア業界にはテクノロジーやデータを活用するデジタルプレイヤーが新規参入し、産業の枠を超えた新しいサービスを生み出そうとする動きが活発化している。「創造的で破壊的な変化が起きている」と中外製薬 上席執行役員 デジタルトランスフォーメーションユニット長 志済聡子氏は語る。

 “破壊的な変化”が起きる中、新薬創出をはじめとする中核事業が抱える課題を解決するために中外製薬はDX(デジタルトランスフォーメーション)に取り組む。今回は同社が注力するAI(人工知能)を活用したデジタル基盤強化を中心に見ていく。

本稿は2022年8月29日〜9月1日に開催されたITmedia主催「DX Summit vol.13 変わるデータ経営、変わるデータ基盤」の講演「中外製薬のDXを加速するデジタル基盤強化の取り組み」を基に編集部で再構成した。

ヘルスケア産業に訪れる“破壊的な変化”

 中外製薬は国内がん領域と国内抗体医薬品市場において売上シェア第1位(いずれも2021年)を記録した(注1)。2021年決算では売上収益9998億円、営業利益率43.4%を達成。抗体、中分子などで世界的に先端的な技術力を有し、同社によれば国産初となる抗体医薬を創製した。2002年からは製薬企業のRocheと戦略的に提携している。

 中外製薬はデジタル技術の活用にも積極的だ。近年の医療ニーズの増加や疾患の複雑化、少子高齢化や医療財政の逼迫、新型コロナウイルス感染症(COVID−19)への対応など社会課題の解決に向けても、さまざまな取り組みを実施している。

中外製薬の志済氏 中外製薬の志済氏

 志済氏は「社会課題の解決に向けて、革新的新薬の創出や持続可能な医療への貢献、感染症の感染や発症を防ぐワクチンや治療薬の開発、医薬品安定供給などが期待されている。デジタル技術の活用は課題解決の重要なファクターだ」と話す。

 新薬創出においては、DX (デジタルトランスフォーメーション)によって創薬プロセスの革新や開発期間の短縮、新薬の成功率向上が期待される。

 新薬創出の課題が開発研究費と時間の増加だ。開発研究費は1990年の10.4億ドルから、2000年には25.6億ドルに増えた。2000年以降、臨床試験の成功確率は11.8%で、臨床試験から審査までに96.8カ月かかっている。「AIを活用することで、開発期間は13年から4年に短縮され、開発研究費は1200億円から640億円に削減され、成功確率は10倍増になるとされている」

 社会課題として志済氏が挙げるのが、患者アウトカムの「見える化」、早期診断、早期予防だ。同氏はこれらを「持続可能な医療への貢献」として位置付ける。COVID-19拡大を受けてリアルワールドデータの活用による開発の推進、オンラインでの適切な情報提供も強く求められるようになった。

 「AI診断やオンライン診療、バーチャルケア、デジタル治療、デジタル服薬管理、オンライン薬局、医師マッチング、AI画像解析などの流れを把握して創薬やサービスに活用していく」と志済氏はビジョンを語る。

AIを活用した創薬に注力

 中外製薬は「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」を策定し、「デジタル技術によって中外製薬のビジネスを革新し、社会を変えるヘルスケアソリューションを提供するトップイノベーターになる」とうたう。

 同ビジョンが打ち出す戦略は次の3つだ。

  • デジタルを活用した革新的な新薬創出(「DxD3:Digital transformation for Drug Discovery and Development」の取り組み)
  • 全てのバリューチェーン効率化
  • デジタル基盤の強化

 志済氏はこの中で「デジタルを活用した革新的な新薬創出への取り組み」を取り上げた。この取り組みでは次の3点を進めている。

  • AIを活用した創薬プロセスの革新:機械学習を用いて最適な分子配列を得る AI 創薬支援技術「MALEXA」を自社開発する。画像解析技術を用いる細胞判定や薬理試験後の臓器を選別、判定する深層学習アルゴリズムを開発する
  • デジタルバイオマーカーの開発:ウエアラブルデバイスと AI プラットフォーム技術で子宮内膜症における痛みを継続的に評価する研究に取り組む。ウエアラブル活動量計による血友病患者の運動と出血の関連性とのデータの評価を進める
  • リアルワールドデータの活用:医薬品の承認申請に寄与する可能性のあるエビデンスの創出と社内意思決定の根拠情報としての活用、承認申請の効率化や治癒効果、QOL (生活の質)の向上、個別化医療に向けた活用に取り組む

 志済氏はDX の推進に当たって「DXの『全社ごと化』が必須だ。トップがリーダーシップをとってコミットし、ビジョンと戦略を推進するための体制をつくり、組織風土改革をぐるぐる回していく」と語る。

 デジタルに関する戦略、予算の意思決定の場であるデジタル戦略委員会も重要だ。各本部、ユニットの長が月1回集まり、デジタル戦略やIT戦略、計画、投資案件に関して機能横断的に審議する。

AWS とクラウド DWHでデジタル基盤を構築

 データ活用を進める上で重要なのがデジタル基盤の強化だ。中外製薬は病理画像データやヒトゲノムデータ、電子カルテデータ、検診データ、ウエアラブルデバイスから得られるデータなど多種多様なデータを扱う。データ量が膨大であることに加え、ヒト由来データなど取り扱いに注意が必要なものもあり、社外とのやりとりには安全性が求められる。

 「全社データ活用の推進を目的に、大容量のデータを安全に利用し、移動させ、保管するIT基盤『CSI』(Chugai Scientific Infrastructure)を構築した」

 CSIの特徴はデータ管理の自動化による作業の効率化や品質向上、リスク低減とデータセキュリティレベルにあわせてきめ細かにデータが管理できること、『Snowflake』『Teradata on AWS』などの最新の DWHのプロビジョニングを自動化できることがある。

 CSIは、「Amazon Web Services 」(AWS)を基盤とする。「Ansible」や「Git Hub」によってインフラの構築と運用の自動化を、「AWS IAM」「AWS Direct Connect」によってセキュリティ強化を図る。

 中外製薬はAWS のメリットとしてコストと品質のバランスが良いことや積極的に新技術の取り込むこと、技術革新のスピードが速いこと、協業に当たってスピード、コミュニケーション、コストの面から有利なことを評価している。

 「CSIを構築したことで、グループ会社のRocheやGenentechなどとヒト由来データの受け渡しをセキュアで安価に行えるようになった。研究データの解析基盤やデータ連携基盤の構築、AI研究、サービスアプリ開発など、試行錯誤を繰り返す探索的な開発をアジャイルに進めるユースケースにも活用している」

 具体的にはScrum Japanとの肺がんデータ解析環境や血友病RWD解析環境、バイオマーカーデータ解析環境、臨床/非臨床画像解析環境、ゲノムデータの解析パイプライン環境などの基盤として活用している。

 また、中外製薬は組織横断的なデータ共有のために新規 DWH を導入した。実験機器データやゲノムデータなど社内外データの統合 DWH としては Snowflakeを採用した。特定のクラウドに依存しない Snowflakeのプライベート接続機能によって安全で効率的なアクセスが可能となり、それぞれのウェアハウスが分離しているため高負荷な解析を実行しても他ユーザーに影響を与えない環境を構築できた。

 社内の研究者がSnowflakeを利用できる体制を構築し、全社的なデータガバナンスの強化、セキュリティリスクの低減、業務効率化を実現した。

 中外製薬はエンタープライズデータ向けの統合 DWH も構築した。COVID-19の感染拡大 を受けて医療従事者の業務がデジタルシフトし、医薬品の適正使用に向けた情報提供、伝達手段の変革が課題となったためだ。統合対象にコネクターを用意し、Snowflakeと連携できるようにし、データマートを短期間かつ低コストで構築できるようにした。

デジタル人材育成のための「Chugai Digital Academy」

 中外製薬は組織の風土改革や人材育成にも力を入れている。「note」「YouTube」などでデータサイエンティストや従業員の声を社内外に発信する一方、社外パートナーである企業や有識者などが最新情報を全社に配信する「DigiTube」の取り組みや、イベント「CHUGAI DIGITAL DAY」(2022年から「CHUGAI INNOVATION DAY」に改称)を開催している。各部門にDX リーダーを配置し、全社 DX の取り組み事例を共有する「デジタルサミット」を開催している。G検定受験も支援している。

 人材育成面では、社内アカデミー「Chugai Digital Academy」(CDA)を設立した。デジタル人材の育成強化に加え、先端企業との協働から得た「製薬×デジタル」ナレッジを社会に還元することによる社会貢献や採用力の強化を目的としている。「大学や教育機関にプログラムを提供し、人材にリーチすることで、(プログラム受講者に)中外製薬に興味を持っていただけるようなエコシステムを指している」

 志済氏は重点的に育成したい人材として、ビジネス上の真の課題やニーズを理解してモデルを構築し、解析したデータを統計分析に落とし込める「高度解析・統計型データサイエンティスト」と、幅広いデジタル関連知識と経験を基にデジタルプロジェクトを推進できる「DPL」(Digital Project Leader)の2職種を挙げた。約9カ月にわたるプログラムが1期当たり約30人に提供されている。すでに5期目がスタートしている。

 志済氏は「中外製薬は今後、全てのバリューチェーンの効率化やデジタルを活用した革新的な新薬創出、革新的なサービスの提供を本格化させる。社会を変えるフェーズへと進むため、まずはビジネスを変える取り組みをギアアップさせたい」と語り、講演を締めくくった。

ITmedia DX Summit vol.13 他の講演レポートはこちら

次回の「ITmedia DX Summit vol14 DIGITAL World 2022冬」「本当に成果が出る」DXの進め方〜もう、デジタイゼーションだけで終わらないは2022年11月7(月)〜10日(木)開催予定(デジタルイベント。視聴参加無料)です。

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