「DXで世界から遅れて、何か問題ある?」 日本人の開き直りマインドが陥る“穴”アナリストの“眼”で世界をのぞく

「日本のDXが世界と比べて遅れている状況に慣れてしまった」と、筆者は日本人の“低位安定マインド”の存在を指摘する。世界に追い付くことを“諦めた”ことで生じる問題とは何か。

» 2022年10月28日 09時00分 公開
[小林明子矢野経済研究所]

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この連載について

目まぐるしく動くIT業界。その中でどのテクノロジーが今後伸びるのか、同業他社はどのようなIT戦略を採っているのか。「実際のところ」にたどり着くのは容易ではありません。この連載はアナリストとしてIT業界と周辺の動向をフラットに見つめる矢野経済研究所 小林明子氏(主席研究員)が、調査結果を深堀りするとともに、一次情報からインサイト(洞察)を導き出す“道のり”を明らかにします。

筆者紹介:小林明子(矢野経済研究所 主席研究員)

2007年矢野経済研究所入社。IT専門のアナリストとして調査、コンサルテーション、マーケティング支援、情報発信を行う。担当領域はDXやエンタープライズアプリケーション、政府・公共系ソリューション、海外IT動向。第三次AIブームの初期にAI調査レポートを企画・発刊するなど、新テクノロジー分野の研究も得意とする。



 ある日、Webブラウザの検索窓に「日本 DX(デジタルトランスフォーメーション)」と入力したところ、Googleの“お薦め”キーワードの上位に挙がったのは「日本 DX 遅れ」「日本 DX 進まない」だった。

 「Denmark digital Transformation」と入力してキーワード上位に表示されるのは「Denmark government digital transformation」(デンマーク政府のDX)、「Singapore digital Transformation」では、「Singapore airlines digital transformation」(シンガポール航空のDX)なのに、Googleは意地が悪い。もっとも、これはユーザーが「日本のDXは世界と比べて遅れている」という観念にすでに慣れていることでもあるのだろう。

アジア各国にも立ち遅れる日本のDX

 「ITmedia エンタープライズ」で矢野経済研究所の上海支社の周が先月、中国のDXについて執筆した(注1)。周と話していると、中国のDXや先進IT技術が比較対象としているのは米国で、中国は米国を追い越そうとしていることが実感できる。日本は眼中にないようだ。

 日本に入ってくる海外のDX情報は欧米が中心で、中国の情報はやや珍しいのではないかと思うので、興味がある方はお読みいただきたい。

 「日本が遅れている」データを2つ挙げる。まず、IPA(情報処理推進機構)が2021年10月に公開した「DX白書2021」(注2)では、日米におけるDXの取り組み状況を比較している。

 同白書によると、日本企業は「全社戦略に基づき、全社的に DX に取り組んでいる」と「全社戦略に基づき、一部の部門において DX に取り組んでいる」を合わせて 45.3%だったのに対し、米国企業は 合わせて71.6%だった。これに加えて、IPAは「戦略や人材、技術の観点での取り組み内容についても(日米の間に)大きな差がある」ことを指摘している。

図1 「DXへの取組状況」(出典:IPA「DX白書2021」) 図1 「DXへの取組状況」(出典:IPA「DX白書2021」)

 スイスを拠点とするビジネススクールの国際経営開発研究所(IMD)は2022年9月28日、「世界デジタル競争力ランキング2022」(注3)を発表した。同ランキングのトップ5はデンマーク、米国、スウェーデン、シンガポール、スイスが占めている。日本は29位となった。

図2 世界デジタル競争力ランキング(出典:IMD「World Digital Competitiveness Ranking 2022」) 図2 世界デジタル競争力ランキング(出典:IMD「World Digital Competitiveness Ranking 2022」)

 このランキングが発表されるのは今回が6年目だが、前々年は27位、前年は28位と日本の順位はだんだん下がっており、今回の29位は過去最低だ。アジアではシンガポールが4位で最も高く、韓国は8位、中国は17位と、他のアジアの国や地域が日本よりも上位にランクインしている。

低位安定マインドの“落とし穴”

 これらのデータを見て、あなたはどう思うだろうか。「やっぱりね」という声が聞こえそうだ。もし、ここで筆者が「挽回しなくてはならない」「米国や他のアジアの国々に追い付こう」と書くと、どういう反応が起こるだろうか。「そうだ、頑張ろう」と言う人よりも「無理でしょう」と言う人の方が多いのではないか。

 日本では負けを認め、追随を諦める姿勢が年々強まっているように感じる。2018年前後に最も盛り上がったAI(人工知能)ブームを振り返ってみよう。

 矢野経済研究所が2018年に発刊した「AI市場調査レポート」のために取材した市場関係者からは、「日本のAI技術は優れている」「ものづくりの強みとのシナジーを生かせば、日本が世界で勝てるチャンスはある」といった声が聞かれた。少なくとも、「米国には負けたとしてもアジアでは日本がトップだ」と自負する人は多かった。

 あれから4年ほどたった今、DXにしてもAIにしても、世界との差を「悔しい」と思わず、所与のものとして許容する「低位安定」ムードが漂っている。

 もっとも、「外国が先行するDXを日本でもやらねばならない」という掛け声は大きく、DXはブームとなっている。一方で、取り組んでみたものの成果が出ていない企業ではすでに「DX疲れ」が起きている。

 本質的なDXが進展しないまま、ブームとしてのDXは幻滅期を迎えている。さらに低位安定マインドが強まり、「無理にやらなくても困らない」になってしまうと、「日本が遅れていて、何か問題はあるのか」と開き直る人も出てくるだろう。

 事業は継続できるため特に困らなくても、生産性が低いまま成長から取り残される。これは抜け出せない「落とし穴」にはまるようなものだ。

他国との比較は本質ではない

 欧米を先進的事例としてお手本とするのは明治から続く日本の伝統的発想だ。しかし、「遅れている」という事実そのものを突き付けるだけでは、DX推進に悩む日本企業の参考にはならないのではないか。

 米国が進んでいるのは分かっても、日本とは文化や社会背景を含めてさまざまな事情が違うため、米国の事例はそのままでは参考にしづらい。とはいえ、海外を含めた競合他社に対する競争力は保ちたい――。これが日本企業の実情ではないかと筆者は考えている。

 日本企業にとってDXにおける最大の課題は人材不足だ。その点でも日米には大きな違いが存在する。日本ではIT人材の7割がSIerを中心とするIT業界に所属しているが、米国では比率が逆転し、ユーザー企業に所属するIT人材が多数を占めている。

 デジタル技術活用においては、業務知見がある自社内でシステムを構築してアジャイルに改善するのが理想的な姿と言われている。しかし、これはシステム構築をITベンダーに委託する慣習がある日本では実現しにくい。

 日本のユーザー企業でもIT人材を雇用しようとする動きはあるが、米国とは異なり、人材の流動性が低いため、DXプロジェクトを担う人材を外部から獲得することは容易ではない。

DXは筋トレと似ている

 筆者は調査会社の研究員として最近、「DXの成功企業」といわれる企業に取材をする機会があった。複数の企業に共通していたのは、「DX」というキーワードがまだ存在しない時代から事業環境や顧客のニーズの変化に危機感を持ち、真摯(しんし)に自社の課題と向き合って変革に取り組んできた点だ。

 「DXが取り沙汰されるようになり、自分たちが長年やってきたことはまさにDXではないかと気付いた」という企業もあった。DXの成果が出るまでには長い時間がかかる。ゴールがあるわけでもなく、継続した取り組みとなる。

 ただし、DXは資金や人材が豊富な大企業にしかできないわけではない。取材先には中小企業も含まれていた。DXに意欲を持ち、IT活用に理解のある経営者(2代目社長が多い)がDXを率いていた。中小企業だからこそ柔軟性が高い、経営者と従業員の距離が近くメッセージが伝わりやすい、全社の一体感が持ちやすい、取り組みの成果を早期に実感しやすいというメリットもみられた。

 この取材を通じて、DXは地道な改善、改革の積み重ねなのだと実感した。筋トレによる肉体改造は年齢や性別を問わず誰にでもできる。ただし、引き締まった肉体を得るためにはストイックな努力と継続が必須で、早々に脱落する人は多い。DXもこれに似ているかもしれない。

 少子高齢化による労働力不足が深刻化しており、経営環境の急速な変化にさらされている中で、現状に甘んじていては社会全体で大きな損失が生まれるだろう。世界的にGX(グリーン・トランスフォーメーション)、SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)といった新たな変革も進んでいる。変革を諦めることはできない。

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