経産省の和泉氏が語る「競争力強化に向けたエンタープライズIT」

デジタル化を標ぼうする企業は多いが、ビジネスで成果を出すという本来の目的に資するものになっているのだろうか。そうでないのであれば、企業は競争力強化に向けてどのようなデジタルアーキテクチャを構築すべきなのか。

» 2023年09月29日 18時40分 公開
[指田昌夫ITmedia]

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 デジタル化を標ぼうする企業は多いが、ビジネスで成果を出すという本来の目的に資するものになっているのだろうか。そうでないのであれば、企業は競争力強化に向けてどのようなデジタルアーキテクチャを構築すべきなのか。

本稿は、アイティメディア主催のオンラインセミナー「Cloud Strategy Days2023summer」(2023年5月開催)における経済産業省の和泉憲明氏(商務情報政策局 情報経済課 アーキテクチャ戦略企画室長)が「企業競争力強化に向けた経営インフラとしてのエンタープライズITとは〜デジタルアーキテクチャで実現すべき経営戦略とビジョン〜」と題して講演した内容を編集部で再構成した。

業務改善だけで「新たな価値」は生まれない

 和泉氏は「DXレポート 〜ITシステム『2025年の崖』克服とDXの本格的な展開〜」の産みの親として知られている。同氏は講演冒頭で、企業がデジタル化に持つイメージとその誤解を指摘した。「デジタルツールを導入するだけで仕事がガラッと変わるように語られるが、仕事の進め方を変えることがデジタル化の目的ではない。エンタープライズITは本来、企業の経営戦略やビジョンを実現して、結果的に企業の競争力を高めるためにある」(和泉氏。以下、特に断りのない発言箇所は全て和泉氏によるもの)

経済産業省の和泉憲明氏:静岡大学情報学部助手、産業技術総合研究所情報技術研究部門上級主任研究員などを経て、2017年経済産業省商務情報政策局情報産業課企画官。2020年7月より現職。商務情報政策局情報産業課ソフトウェア・情報サービス戦略室、デジタル高度化推進室(DX推進室)を兼務。博士(工学)(慶應義塾大学)。 経済産業省の和泉憲明氏。静岡大学情報学部助手、産業技術総合研究所情報技術研究部門上級主任研究員などを経て、2017年経済産業省商務情報政策局情報産業課企画官。2020年7月より現職。商務情報政策局情報産業課ソフトウェア・情報サービス戦略室、デジタル高度化推進室(DX推進室)を兼務。博士(工学)(慶應義塾大学)。

 和泉氏は、企業の競争戦略には2通りあると話す。

  1. 今あるものがより良くなること
  2. 今あるものが全く変わること

 「よく勘違いされるが、新しいツールの導入は足し算だけでなく、場合によっては引き算も有効だ」

 多くの日本企業は、従業員にとって使い勝手が良くなるようにホストコンピュータの性能を世界トップレベルに向上させる方向でIT投資を進めてきたが、この延長線上にクラウドは存在しない。

 DX(デジタルトランスフォーメーション)の主目的は、顧客に提供する“価値”を改善することにある。「デジタルで自社のビジネスを変革するにはどうしたらいいか、自社の強みを増幅するにはどうすればいいかを考えてほしい」

「引き算のアプローチ」で不要な活動を“消す”

 和泉氏によると、企業のデジタル化は理想的には進んでいない。既存ビジネスにデジタルを付加することで生産性向上を図るのを「デジタル化」の主目的に据える企業が多いのが実態だ。

 「業務効率は良くなるかもしれない。しかし、デジタル化をコストダウンだけで評価しなくなり、従業員の賃金まで下がってしまう。これでは現代版の重商主義で、コスト競争しか生まない」

 和泉氏が企業の関係者と話すと、「デジタル化は100年に一度の大変革だ」「明治維新のようだ」という話になるという。しかし、同時に「自社の現状に照らし合わせるとピンとこない。何か先行事例はないか」と聞かれることもあるという。

 このとき、和泉氏は「明治維新を起こした志士は、先行事例に学んではいない。現在の政府もSociety 5.0など未来について議論するときに、既存のインフラやサービスを土台にして本当に未来を描けるのかどうかに注意している」と答えるという。

 例えば、江戸時代に手紙などを配達していた飛脚にアンケート調査を実施して、彼らにとって走りやすい道を整備しても、現代の交通インフラは完成しなかっただろう。「鉄道や高速道路などの交通インフラはどうあるべきかを想定し、その上で自社はどのようなサービスを提供できるか考えるべきだ」と和泉氏は説く。

 これをエンタープラズITに当てはめると、どうなるか。データに対するインフラをどのように整備して分析環境を作るか。サービスを載せる自社アプリを整備すべきかどうか。「自社だけで全てのインフラを整備するのは難しいので、同業他社との競争領域と協調領域を見極めてアーキテクチャを考えて取り組むことも重要だ」と和泉氏は強調する。

図1 目的起点で競争領域・協調領域を設計することが重要:デジタル時代のアーキテクチャ設計 図1 目的起点で競争領域・協調領域を設計することが重要:デジタル時代のアーキテクチャ設計

 デジタルインフラの構築を中心に考えるデジタル活用では、必要のないアクティビティーを可視化して消すことができる。従来人間がしていた事務的な作業をデジタルに置き換えて、人間はより良いサービスの検討に回ることができる。

 「引き算のアプローチでビジネスをシンプルにすることが、デジタル時代の新しい国富論ではないか」というのが和泉氏の主張だ。引き算によるデジタル化の例として、中国のECベンチャーの例が紹介された。

 この企業が提供するサービスでは、顧客がアプリで注文した商品を配達員がスーパーマーケットでピックアップし、顧客の自宅まで配達する。顧客自身が店舗で買い物する場合は、セルフレジでアプリを使って決済する。

 「日本で同じようなサービスを企画すると、『通常のレジが設置されている店舗をどう変えるか』『EC(電子商取引)専用の倉庫が必要だ』という議論になりがちだ。(海外で成功しているビジネスモデルは)既存のインフラを前提にしていないことがポイントだ」

 デジタルを軸に、既存のフィジカルと似て非なるビジネスモデルを作ることがデジタル化の論点だという。

ミドルアウト戦略でデジタル化を進める

 では、多くの日本企業はなぜ正しいデジタル化の道を進めないのだろうか。

 和泉氏によると、自社をDXのトップランナーだと答える企業は40%存在するが、DXの推進指標の調査と照合すると、トップランナーといえる企業の割合は10%程度にとどまっている。トップが号令をかけるだけでは真のデジタル化は進まない。逆に、現場が主導するだけでは、前述したように既存事業の効率化に走り、消耗戦に陥る。

 「戦略的に企業を成長させるには、トップダウンでも単なる現場主導でもない新しい戦略が必要だ。私はこれを『ミドルアウト戦略』と呼んでいる」

図2 ミドルアウト戦略(出典:和泉氏の講演資料) 図2 ミドルアウト戦略(出典:和泉氏の講演資料)

 ミドルアウト戦略とは、自社が強みを持つデータを活用したビジネスを見極め、それを中心に経営戦略(上方向)と現場(下方向)の改善を同時に進めるアプローチだ。真ん中にデータのプラットフォームをしっかり作ることによって、ビジネスが拡大した際に現場の負荷が大きく増えない仕組みを実現する。「これがエンタープライズITのあるべき姿だ」と、和泉氏は断言した。

経営者が自らデータ分析して戦略を打ち出す

 ミドルアウトでデータ基盤を整備した後、経営インフラとしてどう活用していくべきか。

 和泉氏は、元カルビーCEO(最高経営責任者)兼CIO(最高情報責任者)の中田康雄氏の考え方を引き合いに出した。中田氏は、経営がITを使いこなすことの重要性を強く主張している。カルビーは独自指標として「店舗鮮度」を掲げ、工場出荷から消費者に届くまでのリードタイムを短くする経営戦略を打ち出した。店舗鮮度が高い店が消費者に支持され、売り上げが伸びる効果が出たという。

 「データ基盤は標準的なものを利用する。各社の経営陣が戦略的にその基盤を使いこなすことで違いを出すべきだ」

 また、自社のデータを外部のデータとどう組み合わせて活用すべきかも重要な論点になる。「『ビールと紙おむつ』の関係に代表される顧客分析は、本当に意味があるのかどうかを考えなければいけない」

 ビールと紙おむつとは、一見関係がなさそうに見える2つの商品が誰にどのように購入されたかを分析することで売上増加に結び付けられるという「バスケット分析」が知られるきっかけとなったケースだ。

 しかし、EC事業がうまくいかない企業が自社の顧客データだけを深掘りしてもビジネスを伸ばせずにいる場合もある。その際、巨大プラットフォーマーのマーケティングに乗って、自社の顧客層を拡張して大きな成果を得るケースもある。

 「この意味を理解できない経営者が非常に多い」と和泉氏は嘆く。「『まず自社が持っているデータで小さく始める』と言う経営者は多い。しかしそれは落とし物を街灯が照らす範囲でしか探さないようなものと認識すべきだ」

 しかし、和泉氏はプラットフォーマーに丸投げで依存すべきだと言っているわけではない。「本来経営戦略を生かし切るデジタル化を進めるには、プラットフォーマーとは決別し、内製化ができる体制づくりとインフラの整備をすべきだ」

図3 デジタル×経営の本質(出典:和泉氏の講演資料) 図3 デジタル×経営の本質(出典:和泉氏の講演資料)

経営者は「データの劣化」を心配すべき

 CIOは単に手段をデジタル化、クラウド化を宣言するだけではダメだ。データをどう収集し、分析してビジネスを成長させるかの道筋を示さなければならない。ビジネスのためのエンタープライズITとはどうあるべきかを、経営者はもう一度考えてほしいと和泉氏は語る。

 「実店舗が強い小売業であれば、ECサイトを単独で立ち上げるのでなく、実店舗の強さをデータで分析すべきだ。紙の会員証をアプリに移行することで顧客の来店頻度や日時、買い上げた商品などの購買行動を可視化できる。データを集めながら顧客の利便性やお得感を高める改善ができれば、成果を出せる」

 また、データは鮮度が大事と言いながら、データの劣化を心配している経営者は非常に少ないという。

 「プロ野球では、従来はストライクゾーンを9分割して分析していた。故・野村克也氏(元東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督)がデータ活用を提唱した『ID(Import data)野球』ではストライクゾーンを25分割(ボールゾーンを含めると81分割)して分析した。その時点で、過去のデータはある意味使えなくなった。現在のスポーツでは映像データを分析したり、タブレットを選手に見せてその場でプレーを確認したりするなどさらに進化している。企業も、状況の変化に応じて常に新しいデータを持たなければいけない」

 最新の分析手法に対応するサービスとインフラをどう構築していくか。それは目的を明確にして、どういう手段を選んでいくのかにかかっているという。

 「既存の業務プロセスを効率化するためにデジタルを導入する考古学的なアプローチでは、システムが肥大化するだけで何をしているのかが分からなくなる。あるべきサービスの最終形をイメージして、そこから逆算していくアプローチが必要だ」

 デジタルによる変化を捉える際、和泉氏は「デカップリング」(分離する)という考え方を提唱する。これは今まで「モノ」として販売していたビジネスから「本質」を抜き出して、その価値を提供する事業者になることが重要だという。

図4 デジタルによる変化の本質(出典:和泉氏の講演資料) 図4 デジタルによる変化の本質(出典:和泉氏の講演資料)

 「現場担当者がサービス提供に専念できれば、結果的により多くのデータが集まる。その結果、経営者はより多くのデータを使って高度な分析に注力できるようになる。エンタープライズITのインフラは、この循環を増幅する装置となるべきだ」

 和泉氏は「政府はデジタル田園都市国家構想によってデジタル実装の前提となるインフラ整備計画を推進している。デジタルインフラを使って実際の社会を変えるDXを社会全体で進めていきたい」と最後に語った。

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