IT業界とモノづくり業界が「せめぎ合い」 自動車業界の“裏側”に迫る【前編】アナリストの“ちょっと寄り道” 調査データの裏側を覗こう

自動車業界への“ITの進出”のスピードは加速する一方だ。「自動車の性能をソフトウェアが規定する」SDV時代の到来を前に、自動車業界の「安全を至上とするものづくり文化」とIT業界の「アジャイルを是とする文化」の落としどころは見つかるか?

» 2024年01月26日 14時50分 公開
[山口泰裕矢野経済研究所]

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この連載について

 読者の皆さんは日々さまざまな記事を読む中で「〇年には△億円に拡大する」といった市場規模推移予測データを日々目にしているだろう。文字数が限られるニュースリリースでは予測の背景や市場を構成するプレーヤーの具体的な動きにまで言及するのは難しい。

 本連載では調査データの“裏側”に回り込み、調査対象の「実際のところ」をのぞいてみたい。ちょっと“寄り道”をすることで、調査対象を取り巻く環境への理解がより深まるはずだ。

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 連載第7回は車載ソフトウェア市場を取り上げる。読者の皆さんはSDV(Software Defined Vehicle)という言葉をご存じであろうか。SDVは車載ソフトウェアによってクラウド経由で自動車の機能を更新することを前提に設計・開発された車両を意味する。

 SDVは「ソフトウェアによって機能が規定される自動車」ともいわれ、ソフトウェアの役割や存在感が従来よりもはるかに前に出る形だ。Teslaが目指す方向性と言うと分かりやすいだろうか。

 現在、SDVの実現に向けて日本の自動車メーカー(OEM)や自動車部品サプライヤー(Tear1など)、協力会社(ソフトウェア開発ベンダー)が研究開発しており、特にCASE(注1)を志向した車載ソフトウェアの研究開発に取り組んでいる。

 今回は協力会社から見た車載ソフトウェア市場を概観する。次回は、車載ソフトウェアの“裏側”を見るとともに、日本の自動車業界が抱える課題にも触れたい。

(注1)「Connected」「Automated/Autonomous」「Shared&Services」「Electric」の頭文字を合わせた造語。単なる「自動車」というモノではなく、「移動する手段」「自動運転」「気候変動対策への貢献」などの価値をユーザーに提供することを目的とする技術革新を指す。

歩き出す前に:ソフトウェアが「車の性能」を規定する時代

 それでは車載ソフトウェア市場規模推移予測の裏側をのぞいていこう。まず“歩き出す”前に、車載ソフトウェアについて押さえておこう。車載ソフトウェアについて当社では制御系と車載IT系の2つに区分している。市場規模は、制御系と車載IT系を合計した数値だ。

 「制御系」は、エンジンを制御するパワートレイン系組み込みシステムやサスペンションなどのシャシー系システム、ボディー系システムなどブロックごとに単機能型のECU(Electronic Control Unit)ユニット(自動車制御用コンピュータ)で構成され、「走る・曲がる・止まる」を電子的に制御する仕組みを担っている。近年ではADAS(先進運転支援システム)などの高度化に伴い、ECUの搭載数は増加傾向にある。現在、市場に出回っている高級車には百数十個以上、普通車でも30〜40個のECUが搭載されており、年々増加している。

 一方の「車載IT系」は、米Teslaや中国の一部のBEV(Battery Electric Vehicle、純粋な電気自動車《EV》とプラグインハイブリッドカー《PHEV》)が主に搭載している仕組みだ。制御系と異なり、HPC(High performance computing)を用いて車載OSを含む多階層のレイヤー構成となっている。制御系と異なりクラウドベースでの運用となるため、柔軟なサービス展開が可能となる他、制御系が各専門領域に特化した個別最適であるのに対して、車載IT系はMBSE(Model-Based Systems Engineering)に代表されるように全体最適でシステム全体をデザインしていく点に大きな特徴がある。

図 車載ソフトウェアのアーキテクチャ(出典:矢野経済研究所作成) 図 車載ソフトウェアのアーキテクチャ(出典:矢野経済研究所作成)

車載ソフトウェア市場規模に関する注意点

 車載ソフトウェア市場規模に触れる前に注意したい点がある。車載ソフトウェアは、自動車メーカー(OEM)や自動車部品サプライヤー(Tier1など)の研究開発費を利用して、協力会社である車載ソフトウェア開発ベンダーに開発を依頼することが多い。ただし、内容によってはOEMやサプライヤー側も開発している。大手の協力会社を中心に、自社で研究開発も実施するケースもある。

 今回紹介する市場規模は、協力会社に限った数値(車載ソフトウェア開発ベンダーからOEMやサプライヤーへの渡し価格ベースで算出した数値)である点に注意願いたい。今後の調査でOEMやサプライヤーの車載ソフトウェア市場規模も明らかにしていく考えだ。OEMおよびサプライヤー側の市場規模と今回紹介する協力会社側の市場規模の合計値が車載ソフトウェア市場規模の全体となる。

積極投資でぐんぐん伸びる「車載ソフトウェア市場」

 協力会社における車載用ソフトウェア市場規模は、2021年に3770億円、2022年は前年比135.3%の5100億円となった。直近の2023年は前年比153.9%の7850億円となる見込みだ。

 この背景にはOEMやサプライヤーが研究開発費として、車載IT系の研究開発案件を協力会社に積極的に発注していることがある。

 制御系であるECUについては、前述したように搭載数が年々増加傾向にあるものの、搭載体積やコストの増加などの課題が取り沙汰されており、従来型の制御系のECUから車載IT系である統合型ECUへと収斂(しゅうれん)する動きが進んでいる。これが車載ITの構成比が高まる要因の一つとなっている。

 車載IT系に絡む開発案件は試行錯誤で進めることが多いため、成果として現れるのは2027〜2028年辺りだと筆者はみている。2027〜2028年には、統合ECUへの収斂と相まって制御系と車載IT系の構成比は半々程度になると予測している。

 さらに、こうした成果物が実車に搭載されるのは2030年頃だと筆者は考えている。2030年には協力会社における車載用ソフトウェア市場規模は1兆9130億円に達するだろう。2030年には車載IT系が約75%を占め、クリティカルなECUを中心とした制御系が25%となり、構成比が逆転するというのが筆者の予測だ。

車載ソフトウェアに関する“地図”とは?

 次回、市場の“裏側”をみる上で把握しておきたいのが、冒頭で触れた“地図”だ。ここを少し詳細に記すために、矢野経済研究所が整理した車載ソフトウェアに関するアーキテクチャを紹介する。

制御系――単機能ECUは一部を残し統合化へ

 前述したように、「制御系」は、近年ADASの高度化に伴って、ECUの搭載数が年々増加している。搭載体積やコストの増加などの課題を解消するために、ECU同士を統合した統合型ECUユニットが登場した。なお、最も重要な「走る・曲がる・止まる」といったクリティカルな部分については統合することなく、従来通り車載ECUが保持する形となっている。

 また、リアルタイム性能の向上を実現するべく、組み込み系ソフトウェア開発をベースに、各種リアルタイム・オペレーティングシステム(RTOS)の搭載や、車載ソフトウェアに関する標準規格の一つである「AUTOSAR Classic Platform」(CP)に付加する形でADASや自動運転などを実現している。今や車載用ソフトウェアの規模はソースコードベースで1億行を超えるとされるほど肥大化している。

多層化する「車載IT系」

 対する「車載IT系」は、制御系と異なりクラウドベースでの運用となるため、柔軟なサービス展開が可能となる。制御系が各専門領域に特化した個別最適であるのに対して、車載IT系は全体最適でシステム全体をデザインする点が大きな特徴だ。

 矢野経済研究所は4つのレイヤーで整理した(前掲の図を参照)。

 レイヤー1ではHPCで、レイヤー2を構成する「AUTOSAR Adaptive Platform」に準拠したシステムや「QNX」などのPOSIX系、車載Linuxである「Automotive Grade Linux」(AGL)が稼働している。レイヤー3ではトヨタ自動車の「Arene」をはじめとする車載OSのAPIを活用し、クラウドの開発環境を通じてエンターテインメントを含むさまざまな車載関連アプリケーションをC言語で開発する。OTA(Over The Air)で自動運転キットのソフトウェアやアプリケーションを常に最新の状態にアップデートする仕組みだ。

 クラウド経由でOEMのデータベースにインフォテインメント(インフォメーションとエンターテインメントを組み合わせた造語)を含む膨大な車両情報を蓄積することが可能となる。CASEを志向したSDVの実現は、一見、従来の制御系から車載IT系に移行するようにみえる。しかし、両者は制御対象が異なっていることから、SDVは、従来の制御系と車載IT系を併用するものになるだろうと筆者はみている。

 日本の自動車メーカー(OEM)や自動車部品サプライヤー(Tear1など)、ソフトウェア開発ベンダーをはじめとする協力会社は現在、車載ソフトウェアの開発に積極的に取り組んでいる。

 ただし、安全第一の「ものづくりの考え方」と、SDVを通じて新たに出てきた、常にアップデートしながら改善を図る「ソフトウェアの考え方」という双方の文化の適切なバランスを探ろうとして、現在もがいている。これが筆者の考える“市場の裏側”だ。

 次回は、こうした課題を含めて車載ソフトウェアに関する“裏側”を見ていこう。

筆者紹介:山口 泰裕(矢野経済研究所 ICT・金融ユニット 主任研究員)

2015年に矢野経済研究所に入社後、主に生命保険領域のInsurTechやCVCを含めたスタートアップの動向に加えて、ブロックチェーンや量子コンピュータなどの先端技術に関する市場調査、分析業務を担当。また、調査・分析業務だけでなく、事業強化に向けた支援や新商品開発支援、新規事業支援などのコンサルティング業務も手掛ける。


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