このようなアプリケーション環境の複雑性は、メルセデス・ベンツ・グループのような巨大多国籍企業特有の現象ではない。SAPのヤン・ギルグ氏(Chief Revenue Officer, SAP Americas and SAP Business Suite, and Member of the SAP Extended Board)は、大企業が運用しているアプリケーション数が大幅に増えた結果、アプリケーション環境が複雑になっていることに言及した。
時価総額100億ドル規模の企業で利用されているアプリケーションの数は、2000年には平均で約10個だったが、2025年には約600にまで増加した。その背景にはSaaSの普及がある。この25年間、アプリケーション市場に参入するベンダーが増え、企業のアプリケーション環境はより大きくより複雑になった。これは日本企業にも当てはまることだ。
さまざまなアプリケーションが提供している価値が企業に支持されたからこそSaaS市場は成長している。環境の複雑性が増大したからといって、どの企業も旧来のモノリシックなオンプレミス環境に戻りたいとは考えないだろう。なぜならば、われわれは「AIの時代」を生きているからだ。AIエージェントの活用を進めたいのであれば、アプリケーションスタックの相互運用性が確保されていることが重要だ。ビジネス環境の不確実性もこれまでにないほどに高まってきた。
「今、企業が必要としているのは統合されたビジネスプロセスへの回帰だ。このプロセスを支えるのは、統合され、調和のとれたエンタープライズ基盤だ。この基盤の存在がデータドリブンな意思決定を支え、『SAP Business AI』へのアクセスを民主化する」(ギルグ氏)
メルセデス・ベンツ・グループのように、クラウド移行を急ぐ企業の狙いはビジネス変革の推進にあり、AIに寄せる期待は大きい。「RISEへの移行は、イノベーションを活用できることを意味する。中でもAIは、われわれにとって非常に重要だ。われわれの企業には才能に溢れ、好奇心旺盛なエンジニアがたくさんいる。彼らはいつも私に『AIで何ができるのか』と尋ねてくる。現在、さまざまなAIユースケースを検討している」(レーマン氏)
メルセデス・ベンツ・グループにとって、AIは決して目新しいものではない。車載ソフトウェアの開発に携わるエンジニアは既に「GitHub Copilot」を利用している他、サプライチェーンマネジメントでもAIは身近なものだという。独自環境で「ChatGPT」を運用しており、社内ポータルからさまざまな部署の従業員がアクセスしているという。クラウドシフトが進むにつれて「SAP Business AI」は、メルセデス・ベンツ・グループの包括的なAI戦略の一部となり、クルマそのものはもちろん、あらゆる業務領域に組み込まれることになる。
AIソリューション「SAP Business AI」の提供に当たり、SAPはビジネスアプリケーションにAIを組み込むことに注力してきた。その適用範囲は人事やファイナンス、サプライチェーン、CXに至るまで幅広い。2025年5月時点で既に230以上の組み込みAIシナリオを実装しており、2025年末までに400以上のシナリオを提供するペースで開発が進んでいるという。
ただし、これらの組み込みAIシナリオは標準機能として提供されるため、自社独自のAIシナリオで他社との差別化を図りたい企業の要望には応えきれない。SAPはこのニーズに対応するため、「SAP Joule Studio」の提供を通じて、企業が独自のAIエージェントやAIスキルを構築できる環境を整備した。
レーマン氏が指摘したように、企業で働く人々のAI活用への意欲は高い。さらに重要なのは経営を舵取りする経営幹部も同様にAI活用に積極的であることだ。米国SAPのユーザーグループ代表のジェフ・スコット氏(CEO & Chief Community Champion, Americas' SAP Users' Group 《ASUG》)によると、SAPの米国ユーザー企業の経営幹部の関心事は大きく次の3つに集約される。
メルセデス・ベンツ・グループの取り組みも、この流れを象徴している。同社グループにおけるクラウド移行戦略は、不確実性に対するレジリエンスを高め、迅速にイノベーションを取り入れることを狙っている。
今後、AIエージェント活用が視野に入る頃には生産性向上の実現が問われる。ビジネス環境の先行き不透明感は当面続くだろう。このような状況でSAPユーザー企業には、変化に柔軟に対応できるレジリエンスの獲得と、AI活用による生産性向上を実現して競争優位性を築くことが求められている。
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