顧客と企業が、互いに学び合う時代Web 2.0マーケティング・イノベーション(6)(2/2 ページ)

» 2008年10月03日 12時00分 公開
[森田進,ストラテジック・リサーチ]
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自己実現欲求に訴える「経験価値」という経済観

 では“新しい経済価値”とは何か? 第4回『“きずな”を結ぶ新たな手法「エンゲージメント」 』、 第5回『“きずな”がWebコミュニケーションの常識となる日 』では、商品そのものや商品のブランド、商品購買に導くためのPR番組やWebコンテンツなどに対する消費者の積極的な関与・行動を探り、マーケティング戦略に生かす“エンゲージメント・マーケティング”を紹介した。

 また、コンテンツそのものの充実に力を入れるのではなく、リアルな日常的雰囲気、コミュニケーション慣習をインターネット空間に持ち込み、独り言や井戸端会議のような形で、商品のちょっとした周辺情報にさまざまな解釈を加えながら、コミュニケーションそのものをエンターテイメントとして充実させていく、ソーシャル・メディア、ソーシャル・マーケティングが盛んになりつつあることも解説した。これらも“新しい経済価値”を志向する流れと、決して無縁ではないだろう。

 実際、ここまで商品がコモディティ化してくると、たとえマス・カスタマイゼーションで顧客を満足させようと努力しても、顧客側にしてみれば、せいぜい“オマケ”程度にしか感じられなくなっている。すでに知り尽くしている、あるいは購入経験のある既存商品に、少しばかり付加価値を付けられたところで、ほんの少し特別感をくすぐられる程度のものであろう。こうした状況を企業も把握している以上、顧客満足度を向上させるうえで、何らかの新しい取り組みを模索するのは当然ともいえる。

 さて、ここで注目したいのは、“新しい経済価値”を求める流れの中で、「エクスペリエンス・エコノミー」が登場してきたことである。これは、戦略論の権威でありコンサルタントでもあるB・ジョセフ・パイン2世(B. Joseph Pine II)、ジェームズ・H・ギルモア(James H. Gilmore)が提唱した概念で、“経験価値を売り物にする経済観”のことである。

 具体的には、“脱日常的経験価値”を提供する要素として、Education(学習)、Entertainment(娯楽)、Esthetic(審美)、Escapist(脱日常)という「4つのE」を挙げ、「これらは新たなビジネスチャンスであり、新規市場を生み出すための源泉である」として、企業が何らかの形でビジネスに取り込むことを推奨している。

 先ほどマズローの欲求5段階説で、人間の「自己実現の欲求」だけは変わることも絶えることもないと紹介した。エクスペリエンス・エコノミーの「4つのE」も、そのすべてが“成長”や“自己実現”につながるものである。すなわち、エクスペリエンス・エコノミーとは、マス・カスタマイゼーションの手法が限界に達した中、どのような時代や、市場環境であっても、決して変わることのない「自己実現の欲求」に、4つの要素を使って直接訴えかけることで、ビジネスチャンスにつなげていこう、というのである。

 一方で、エンゲージメント・マーケティングやソーシャル・マーケティングは、コミュニケーションや“きずな”の醸成が鍵となる手法である。これもまさしく「自己実現の欲求」につながる行為の1つである。この点で、エクスペリエンス・エコノミーは、ソーシャル・マーケティングが当たり前となりつつあるWeb 2.0時代にマッチした経済観であるといえよう。そして筆者は、この両者に“新しい経済価値”を生み出すためのヒントがあるように思うのである。

顧客と企業が互いに学習する関係を築く

 というのも、まずマズローの欲求5段階説にあるように、人間には根本的に成長・変身欲求がある。過去の自分と決別することで、自分の理想とする存在に近づき、どんどん成長していることを実感できる自分でありたいと願うものである。

 一方、新しい経済価値を求める市場の中、登場してきたエクスペリエンス・エコノミーとは、4つのEによって、顧客の成長・変容・変身を促し、自己実現の欲求を満足させることを原理とする経済観である。つまり、顧客は企業が用意したさまざまな経験を積むことで、自身の成長や変身を楽しむ。企業側は、さまざまな経験を顧客に積んでもらうことで、ロイヤルカスタマーに近い属性、志向性を持つ顧客へと成長・変身してもらい、より高い利益を得る。

 そうした視点から、あらためて購買行動というものを眺めてみると、顧客はモノ自体を求めているようで、本質的にはそうではないといえよう。モノではなく、その購買や利用を通じて、“変身”するための充実した経験価値を求めているのである。そして企業にとっても、マーケティングという取り組みは「ただモノを売りさばくこと」ではなく、「“経験価値を売る”手法を考え、それを実現する体制を整えること」が本道であるといえよう。

 さて、人の本質とマーケティングの本質をそう読み解いたうえで、コミュニケーションを軸としたソーシャル・マーケティングが人気を博している状況を考え合わせると、新しい経済価値を生み出すための、1つの方策が浮かび上がってくる。

 顧客と企業のマーケティング部門が、互いに「学習関係」を持つのである。それも一時的にではなく、学習という継続的なコミュニケーションによって、顧客とのつながりを深化させ、洗練させていく──すなわち”エンゲージメント”を醸成していくのである。

 例えば、SNSのようなソーシャル・メディアを使うなどして、企業が施した舞台に顧客に上がってもらう。そのうえで、企業やその商品、ブランドなどを「学ぶ」さまざまな経験を積んでもらい、成長や自己実現を果たしてもらう。一方、企業はその経験を基に、顧客のニーズを「学ぶ」ことで、不必要なサービスや商品の準備を抑制し、本当に必要とされている商品に力とコストを注ぐ。それによって、さらなる顧客満足を獲得するとともに、コミュニケーションを深化させていくのである。

 マス・カスタマイゼーションが限界に達した時代の“新しい経済価値”とは、企業と顧客で醸成するコミュニケーションであり、両者で共有する経験価値なのではないだろうか。また、冒頭で述べたように、筆者が「ICT」という呼称にこだわる理由も、ITがこうしたコミュニケーションをはぐくむうえで、大きな力になると思うゆえである。

筆者プロフィール

森田 進(もりた すすむ)

経営・ICTコンサルタント。ストラテジック・リサーチ代表取締役、「産・学・官リサーチセンター」主宰、国際印刷大学校客員教授。バランスト・スコアカード、ITガバナンスをはじめとする各種経営・公共モデルの導入支援、オントロジ工学、セマンティックWeb、Webサービス論の研究および白書監修。そのほか、SaaS、ナラティブ・テクノロジなど多岐にわたって探求を深める。著書に、『新たなビジネスモデルの覇者ASP』『複雑適応系と電子市場・電子取引』、訳書に『Webサイト完全マスター』ほか。論文に「eラーニングと物語論(ナラティブス)」「バランス・スコアカードの発展、枠組みの再構築」ほか多数。

産・学・官リサーチセンター: http://www.x-portals.com/


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