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ハイビジョンの本質麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(3/4 ページ)

» 2004年12月28日 12時00分 公開
[西坂真人,ITmedia]

――日本では独自アナログ方式のハイビジョン(MUSE方式)がありましたよね。

麻倉氏 : デジタル化の前に、日本でのハイビジョンはMUSE方式で一定の地位を得ていました。NHKは放送方式としてハイビジョンを作り、伝送方式としてMUSEを作ったのです。MUSEは1980年代にデファクトスタンダードにするべく、世界的にアピールしましたが結果として普及しませんでした。ですが、NHKが提唱したアスペクト比や解像度など“ハイビジョンの本質”は継承されたのです。

――ハイビジョンの世界は欧米のデジタル方式が主流になりました。アナログMUSE方式で先行した日本は遅れをとったのでしょうか?

麻倉氏:MUSE方式が失敗という人もいますが、今に続くハイビジョン環境を整備したという意味では大いに称えられなくてはならないですね。例えば製作現場では、それまで4:3だったものがハイビジョンでは16:9となるので、ワイドスクリーンでの撮影方法などカメラの扱い方も違ってきます。また、高精細なハイビジョンになると、大道具や小道具などのクオリティも問われてくるのでスタジオ設計も変わってきます。MUSEで培った10年の先行期間が、日本にハイビジョン文化でのアドバンテージを与えたのです。日本でデジタルハイビジョンの立ち上がりがスムーズにいったのもこのおかげです。

「薄型テレビ」と「ハイビジョン」は“クルマの両輪”

――テレビがブラウン管からプラズマ/液晶など薄型テレビに移行していますが、ハイビジョンと薄型テレビの関係について教えてください。

麻倉氏 : 20世紀のテレビ文化はブラウン管が支えてきました。ですが21世紀のデジタルハイビジョン時代は、薄型テレビがテレビ文化を支えていくことになるでしょう。なぜなら、ブラウン管ではハイビジョンの高精細スペックに追いつかないからです。

 高い精細感をブラウン管で表現するには、マスクピッチを非常に狭くする必要があります。ですがマスクピッチを小さくすると、明るさが足りなくなってリビングでは非常に使いづらくなってしまいます。かといって光量を上げようとすると、今度はブルーミングというブラウン管特有のボケ感が出てしまう。ブラウン管の限界が見えてきたとき、ちょうどうまい時期に薄型テレビが出てきたのです。

――リビング向け薄型テレビとしては、やはりプラズマテレビの登場が印象的ですね。

麻倉氏 : プラズマテレビはパイオニア、富士通、松下が先陣を切っていましたが、本当の意味でブレイクしたといえるのは、2001年に日立がプラズマWoooシリーズを出したときでしょう。大画面が売りのプラズマでしたが、42V型で100万円という世界ではほとんど売れませんでした。日立は、そのプラズマを半額の50万円で提供することを狙って32V型というサイズをラインアップ。結局はチューナー入りで60万円という価格でしたが、それでも“薄型テレビも頑張ればアフォーダブルな価格になれる”ということを知らしめるには十分でした。

 競合他社にも予想外のインパクトを与え、ある価格になれば薄型も売れるということを他のメーカーに気づかせたのです。“液晶のシャープ”もその1社で、テレビ市場に躍り出るチャンスということで、それまで小型中心だったものが30インチ以上にも力を入れてきました。この薄型テレビブームの時期が、デジタルハイビジョン放送の普及タイミングだったことも大きい。

 デジタルハイビジョン放送が薄型テレビを求め、薄型テレビがデジタル放送を求めるという“好循環”にはいっていったのです。

 もしブラウン管がいまだに優勢を占めていたとしたら、わざわざテレビを新しくして観るような画質になっていたかどうか分かりません。そして画面の大きさも、ブラウン管なら36型どまり。NHKがハイビジョンを最初に考えたとき、壁掛けの55型を想定していました。大画面で高精細ということが、ハイビジョンを表現する上で重要なのです。つまり「薄型テレビ」と「ハイビジョン」は、クルマの両輪のようにお互いに作用しあっているのです。

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