ITmedia NEWS >

映像は誰のもの?――麻倉怜士の「デジタルトップ10」(後編)麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(2/4 ページ)

» 2016年12月31日 06時00分 公開
[天野透ITmedia]

第3位:HDR(ハイダイナミックレンジ)

麻倉氏:第6位にランクインしたUHD BDは、単純な解像度向上だけではなくHDRとの合わせ技で真価が発揮されるとしてきましたが、HDRは何もUHD BDだけのものではありません。むしろこちらが映像メディアに革新的価値を与えているということで、今年の第3位にはHDRがランクイン。今回のカウントダウンではどこにこだわるというではなく、ドルビービジョン、HDR10、HLG、あるいはNetflix、ひかりTVなどなどのHDRに関わる動向をまとめて取り上げたいと思います。

――当代における映像技術革新の台風の目と呼ぶに相応しいHDRですが、具体的にはどのような技術なのでしょう?

「CEATEC JAPAN」のBDA(Blu-ray Disc Association)ブースでHDRの効果を解説する麻倉氏。極彩色のギラギラな絵というイメージが有るHDRだが、映像に用いるとむしろ光の中に色が出てくるということが重要だとしている

麻倉氏:真っ黒から真っ白までの幅(ダイナミックレンジ)を拡張して、今までトんでいた明部や潰れていた暗部の表現を拡げるという技術がHDR(ハイダイナミックレンジ)です。HDRを一番初めに見たのは2012年のCESで、シャープやTCLのブースでひっそり展示されていた時は「なんか明るいな」程度の印象でした。明るさに関する提案は以前からあり、元を辿れば2008年のソニーのBRABIA「XR1」とシャープのAQUOS 「XS1」に搭載された、今日の液晶テレビで「ローカルディミング」と呼ばれる直下型LEDバックライトのエリア制御技術へ行き当たります。シャープは当時まだLEDが3原色独立していたという利点を生かして、明るさのみならず色までもバックライト制御で積極的にエンハンスしていました。一方のソニーではローカルディミングで使用しない余剰電力を使って明部のバックライトをブーストしていましたが、明部のブーストというこの発想はブラウン管時代にまでさらに遡ることができます。

 この時の弱点としては、元々のデータが白飛びしていたり黒潰れしたりしていると、いくら制御をかけても色は出てこないということでしょう。今のHDRはそうではなく、初めから広いDレンジで撮っておきます。SDR時代の制御とは違って物理的なカラーボリュームが増え、特に明るい部分で白トビせずに色が出てくるのです。これまでスペック的な画質向上として、解像度を上げることで精細感に関する情報量は増えていましたが、色に関しては増えていませんでした。むしろ減っていました。そういう意味で私はHDRの駆け出しからずっと見ている訳ですが、今はどこへ行ってもHDRな状態で、まさかここまで注目を集めるとは思わなかったですね。

 映像でHDRを初めに提唱したのはドルビービジョンです。が、初期のドルビービションはマスターモニター「パルサー」につながる直下型LEDバックライトのモニターシステムそのものを指す言葉であり、これは大失敗でした。つまり今日のドルビービジョンの様なエコシステムの技術ではなく、単にディスプレイで白を延ばすものだったのです。2008年から同様の技術を民生品に投入してきた日本のメーカーから見ると、とっくに通った後の道を見せられて「何を今更」でした。そこでドルビーは日本を飛び越して中国メーカーへ売り込みをかけてみたのですが、今ほど革新的ではなかった当時の中国メーカーにとって、ドルビーの技術はあまりに高級で引く手がありませんでした。

 考えてみればラボ創立最初期のドルビーノイズリダクションから、ドルビーはコーデック技術のエンド・トゥ・エンド・ソリューションでのライセンスで身を立ててきました。初期のドルビービジョンのあり方はドルビーの土俵じゃないのです。そこで一旦仕切り直し、今日のエコシステムに落ち着くこととなりました。

――HDRというと、写真の世界ではかなり以前から用いられてきた技術ですが、動画と静止画では違いがあるのですか?

麻倉氏:ドルビービジョンは元々広い輝度と色域で記録しておき、それを伝送帯域に収めるために上手く処理しようという考え方です。動画におけるHDRは基本的にこの情報圧縮という考え方で、複数の露出レベルの画像を合成してDレンジを拡張する静止画とは根本的に発想が違います。

 なぜ、こんな手間が必要になるのかというと、映像制作では入り口と出口の情報許容量が全く別のレベルだからなんです。最新の撮影機材16bitデータ、14stop記録が標準となっており、ソニー「F65」などのRAW信号は16bitとなっています。ですがBlu-rayやOTTといった流通メディアへ落とし込む過程で、16bitデータでは帯域がパンクしてしまって送れないという技術的な壁が存在します。そこでドルビーでは、リアリティを感じるのにどの程度明るさ情報量が必要かという実験をしました。さまざまな人種の被験者に、冬山のスキーや羽毛といった階調がある絵を視てもらい、どの程度の明るさまでならリアリティを感じるかを聞くというものです。その結果90%以上の被験者がリアリティを感じるとした値は1万nitsという数字を弾き出しました。しかし1万nitsもの明るさを実現するにはもの凄くbit数が必要です。何せ従来のBlu-ray Didcでは100nitsを8bitへ押し込めていたのに、その100倍を要求された訳ですから。帯域的にはやはり16bit要るとなりますが、現在の技術ではそんな膨大な帯域は確保できません。

――フルHDだとしても数Gbps、4Kともなれば数10Gbpsオーダーを“安定的に”確保しないといけない訳ですからね、確かに現実的とは言い難いです。

麻倉氏:そこで人間の錯覚を研究して圧縮・アジャストできる情報量を探求した結果に出てきたのがPQカーブです。PQとはPerceptual(パースペプチュアル:知覚的) Quantizer(クァンタイザー:量子化器) の頭文字で、ざっくり意訳すると認識可能なビット数まで削るという意味になります。16bitを削る際には暗部、つまり低域だとバレやすいけど、明部つまり高域は意外と騙せるぞという話です。そのため情報量を低域に偏らせた方が自然に感じ、その偏差カーブがPQカーブという訳です。

――何だか「高音や小音量は気付かれにくいから削って軽くしようぜ」という、MP3なんかと同じ発想に見えます。ということは、さらに技術革新が進むと、削る必要さえなくなってRAWへ向かうかもしれません

麻倉氏:オーディオで辿った道ですから、ビジュアルでも遠い未来には有り得ます。ですがとりあえず未来の話は置いておいて。PQカーブの考え方が元になって業界団体で標準化された10bitへの落とし込み規格が、UHD BDで採用された「HDR 10」です。対してドルビービジョンは12bitで、ダイナミックメタデータという可変的な予備情報を持っています。

 コンテンツをテレビなどへ映す時には圧縮した情報を解凍する換算式(メタデータ)が必要で、HDR 10はこのメタデータが単一コンテンツに1つなのに対して、ドルビービジョンは刻々と移り変わってゆきます。一方、放送にもHDRを適応できないかとして開発されたのがHybrid Log-Gamma(HLG)です。これは圧縮する際の情報偏差を、低域は従来のガンマカーブ、高域は対数(Log)カーブにするとした規格です。

 各種HDR技術はこういった経過を辿ってきました。これまで画質改善に対するアプローチというと解像度の向上でしたが、ここへきて色を増やすHDRが画質改善の切り札的存在になりました。解像度向上プラスHDRで、人の目が感じる生々しいリアリティを飛躍的に向上させることができる、そういう意味で今年はHDRに注目しました。

 UHD BDはもちろんのこと、最近ではOTTやIPTVでのHDR採用が盛んです。Netflixが6月にリリースした芥川賞作品原作の「火花」は9月からHDR化して話題になりました。実は製作途中でHDR化が決まった本作ですが、大元が16bitのRAWで撮られているため、そこからHDRへグレーディングし直しができたそうです。この火花でHDRとSDRを比べた際に一番良く分かるのは、朝焼けの海岸を走るシーンです。役者がシルエットになり、SDRでは太陽が白くトんでしまうところが、HDRでは太陽がトばずに色がちゃんと出ます。雲に朱い光が当たって全体が朱く染まり、それが海にも反射するという一連の朝日のドラマも情緒豊かに捉えられており、単に明るくピカピカしているのではなく、光を潤沢に取り入れて表現に生かすことで、ドラマの世界観を映像として饒舌に語っています。そういった点からHDRを世界観を構築するドラマツルギー(物語を創るおやくそく)のひとつの有力な武器として使っているのです。

NTTぷららが展開するIPTVサービス「ひかりTV」ではIP放送向けにHLGを、VOD向けにドルビービジョンとHDR10をそれぞれ採用しており、現在のところ世界で唯一主要HDR3技術を網羅したサービスとなっている。11月の侍ジャパン強化試合ではHLGによるHDR放送の試験運用が行われた

――これまで利便性至上主義で「画質なんて2の次3の次」だったOTTがHDRで映像に表現を求め始めたというのが、実に興味深い展開です。映像が物語に寄り添った深化を見せるというのも、ビジュアルラバーとして喜ばしいですね

麻倉氏:一方のIPTV、NTTぷららが展開しているひかりTVは、ドルビービジョン、HLG、HDR10という3つのHDR規格を世界で唯一そろえたサービスです。11月に行われた野球日本代表“侍ジャパン”の強化試合でHLGの伝送実験が行われ、現場で見ているような生々しい色使いが見ることが出来ました。

 HDRの3つを比較する機会もありましたね。オートバイで大ジャンプをするという映像で、背後から強烈なライトが当たる逆光の絵でしたが、例えばHDR10では光の輪が若干曖昧にほわっとするところ、12bitのドルビービジョンでは光源とフレアの識別がしっかりできるという違いが見られました。肉眼で見たらおそらく光源があってフレアが出ているという感じになると想像できますが、そういった映像にとても近いものだったと思います。

 これからHDRは盛んになり、テレビをはじめとした対応製品はさらに増えます。6位のUHD BDで今年は”UHD BD元年”としましが、HDRの本サービスが続々登場ということで同時に”HDR元年”でもあるのです。今後2020年の東京オリンピックを見据えたリアリティー向上のための画質改善へ明確な筋道がこれで立ったといえるでしょう。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.