赤坂サカスは花を咲かすか? ――街おこしのキーマンは「神社経営の変革者」(前編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/3 ページ)

» 2008年04月04日 19時25分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]
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なぜ、「赤坂の街に山車」なのか

 「江戸時代から明治時代にかけてまでは、赤坂では山車を引いていたんですが、その後は神輿(みこし)に代わってしまいました。でも、神輿だと、各町会単位でバラバラに出すので、『赤坂』としてのシンボルになり得ません。それにその担ぎ手も浅草辺りから呼んでおり、必ずしも地元密着型とは言えませんでした。その点、山車を引くということになれば、24町会を統合する形を取れる上に、地元の人々だけで出来る。それに、神輿のように激しいものではないので、老若男女を問わず参加しやすいという利点もあります。また、神輿の時と違って、参加者募集の主体が古くからの町会ではなく神社やNPO(後述)になるので、最近急増しているセキュリティの厳しい新型高級マンションの住民の方々にも応募して頂きやすくなり、参加者層を一挙に拡大できます。それに何より、江戸型山車は都心では他に神田明神くらいしかなく希少価値も高い。そういうことを含めて、『赤坂のシンボル』になり得ると確信したんです」

 恵川氏は、各町会のメンバーをひとりひとり粘り強く説得して歩いた。「でも、反対は想像以上でしたね。そんなことできる訳がないとか色々と言われましたよ」と当時を振り返る。「うちの町会には関係ない」とか「お金が集まるわけがない」などと言われた上、町会同士の不協和音も表面化した。

 それでも、彼の粘り強い交渉は次第に功を奏し、特に2006年にNPO法人・赤坂氷川山車保存会(参照リンク)を設立してからは、話が一気に進んだという。

 「1神社ではなくNPOを受け皿にすることで、行政からの支援を受けやすくなりましたし、企業等からの寄付も受けやすくなりました。そうやって基盤を固めることで、話は急速に現実化したんです」

NPO法人・赤坂氷川山車保存会

 こうして2007年、約100年ぶりの快挙が遂に実現した。「1回実現したことで周囲の反応は激変しましたね。それまで懐疑的だった方々までが、これぞ赤坂の誇りだと思ってくれるようになったんですよ」。そう話す恵川氏の顔に、思わず笑みがこぼれる。

 今回の「赤坂サカス」への巡行が、この成功にあやかったものであることは言うまでもない。回を重ねるとともに、「赤坂のシンボル」はより広く、深く人々の心に刻み込まれてゆくようだ。

今後の「戦略課題」をどう乗り越えるか?

 「赤坂の街おこし」はようやく出発点に立った。これからが本当の勝負である。前述の通り、いったん魅力的な施設を作り、インパクトのあるイベントを打ってしまうと、それによって、自分たちを取り巻く「環境乱気流」レベルが一挙に上がり、その後は「非連続・現状否定型」の「革新」を行い続けない限り、サバイバルは難しくなる。

 江戸型山車の復活巡行など恵川氏の様々な働きかけによって、赤坂氷川神社を中核とする「氏神=氏子」関係の現代的再構築が進むとともに、何十年間も記憶の奥底に眠っていた「赤坂っ子としての自覚や誇り」が呼び覚まされ、「赤坂」として今後どうするべきか、という視点が出来つつあるようだ。

 「それまでバラバラだった町会同士の交流が盛んになり、赤坂全体でのコミュニケーションの基盤ができ始めたのは大きな進展だと思っています」

 確かにその通りだ。恵川氏によるこうした基盤作りの成果を、恵川氏自身を含め赤坂の街として、どう生かしてゆくかが、赤坂という街の今後の課題となるだろう。

 前述の青野啓樹氏は言う。「まだまだ町会ごとの温度差はありますが、それでも『赤坂を良くする』というゴールは同じだと思うんです。であるならば、そこに向けて、まず我々自身が変革への一歩を踏み出すべきです。『ついてゆきたい、参加したい!』と反対者にも思わせるような努力をしなければいけないと思っています」。

 根っからの赤坂っ子としての真情あふれる発言である。まさにその通りだろう。その「変革への一歩」を踏み出すためには、まず東京において、そして日本において、21世紀の赤坂がどんな“ミッション”を果たすべきかを明確にすることが必要だ。それが明確になれば、10年後、15年後の赤坂がどうなっているべきか、という“ビジョン”も自ずから明らかになってくる。そうなれば、それぞれの町会や各商店、個人も皆、それぞれの立場で何をなすべきかが見えてこよう。そして、自己の役割を果たすために必要となる部分で自己革新を推進してゆく。そうした革新の“ダイナミズム”が赤坂全体へと波及してゆくことで、反対していた人々をも巻き込むことが可能となり、その“うねり”は、やがては都内全域へ、そして日本全国へと波及し得る。

 その過程においては、TBS & 赤坂サカスのコミットメントの在り方も大切なファクターになってくるだろう。赤坂の街とTBS & 赤坂サカスとがシナジー(相乗効果)を発揮して、Win-Win」で発展してゆくためには、TBS& 赤坂サカスもまた、上記の「ミッション」「ビジョン」を共有化して、その実現のために絶えざる自己革新を断行することが必須となるからである。

 本記事のタイトルに掲げた問題意識、すなわち、「赤坂サカスは花を咲かすか」どうかの成否は、まさにこの1点にかかっていると言って過言ではない。

 果たして、21世紀の赤坂の果たすべき「ミッション」や実現すべき「ビジョン」は遠からず明確化されるのだろうか? 「神社の経営革新」を通じて赤坂再活性化の先頭に立ってきた恵川氏の活躍は、ここに来て新たな段階を迎えたようだ。ますます冴え渡るその辣腕に期待したい。(中編に続く)

嶋田淑之(しまだ ひでゆき)

1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」「43の図表でわかる戦略経営」「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。


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