廃線の危機から脱出できるか? 第三セクター・北条鉄道の挑戦近距離交通特集(6/6 ページ)

» 2009年02月04日 07時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]
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僧侶と駅長を兼任

 ステーションマスター制度はどんな効果をもたらしたか。2人のボランティア駅長を訪ねた。1人目は播磨横田駅の駅長、赤池秀夫さん。長野県に住み、本業は農業と鉄道グッズの企画卸売業で、上田交通の記念グッズも彼が手がけたとのこと。40年来の鉄道ファンで、「鉄道雑誌の記事でステーションマスター制度を知って応募した」という。“出勤”は月に1度程度、長野県から軽トラックでやってくる。

 「北条鉄道を活性化したいという一心で応募しました。遠方ですから毎週とはいきませんが、イベントのある時は必ず駆けつけて盛り上げようと思っています」と赤池氏。鉄道の日(10月14日)を記念した北条鉄道のイベントでは、真っ赤な甲冑を着た武将姿で播磨横田駅に一夜城の装飾を施した。大阪冬・夏の陣をともに闘った後藤又兵衛と真田幸村にちなんだという。「播州出身の後藤又兵衛と信州出身の真田幸村の縁は、私と北条鉄道の縁に通じます。北条鉄道の“鉄道武将”として、もっともっと盛り上げますよ」と楽しそうだ。

“鉄道武将”の播磨横田駅長、赤池秀夫さん

 播磨下里駅の駅長、畦田清祐(うねだせいゆう)さんは大阪市北区にある高野山真言宗太融寺の僧侶だ。普段は大阪に住み、週に1〜2日ほど通ってくる。交通費は自己負担だ。やはり鉄道ファンではあるが、そこまでして通い続ける理由は「自分の寺が欲しかったから」という。「勉強する場所、街に出て人々と対話する場所があったらいいなと思ったのです。それまでも無人駅を使わせてもらえないかなと考えていました。そうしたら鉄道趣味仲間の友人がステーションマスター制度を教えてくれました」

 友人と通い続けて廃墟同然の駅舎を修繕し、勉強机と数人が座れる場所を作った。今では駅周辺の人々も修繕作業を手伝ってくれるそうだ。

 「公共施設ですから、宗教色の強いことはしないつもりです。ただ人々が集まって語り合う場所ができたらいいなと思って」

 そんな畦田さんの思いは通じ、今では「下里庵(しもさとあん)」として定着したという。「初めは駅にヘンな坊さんが住み着いた、と怪しまれました。でも今はやっと、悪い人じゃ無さそうだ、と思われるくらいになったかなあ」(畦田さん)

“住職駅長”の畦田清祐さん、廃墟の駅舎を庵に

 ボランティア駅長の活動は様々だ。網引駅には観光案内を兼ねた壁新聞が作られている。長駅ではボランティア駅長が作った彫刻が展示されている。田原駅にはオープンガーデンと木陰の読書スペースが整えられた。北条鉄道の歌の楽譜もある。法華口駅では句会が行われており、付近の観光案内の手作りポスターも掲示されていた。駅前の花壇の見事なこと。これらの駅を訪れる人は、いかに北条鉄道が地域に愛されているかをすぐに理解できることだろう。

 加西市には観光資源もある。法華口駅付近には法華山一乗寺や紫電改で知られる鶉野(うずらの)飛行場跡、北条町駅付近には五百羅漢、鉄道からは離れるが兵庫県立フラワーセンターもある。北条鉄道を軸とした回遊ルート作り、観光施設向け連絡バスや周遊クーポンなどを整備するなど、打つべき手はいろいろある。加西市では市民からアイデアを募って観光プランの策定にも着手しているようだ。

 加西市民の足であること、市外からの玄関であること。北条鉄道の使命は重く、その再生は始まったばかりである。次回は取り組みの方針や現れた効果について、加西市長へのインタビューで解き明かしていく。

法華口駅の花壇。市民有志が手入れしている
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