あかほりさとる氏が語る、メディアミックス黎明期(4/4 ページ)

» 2010年12月30日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]
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劣等感がメディアミックスにつながった

 そうしたメディアミックスの仕掛けがどれだけ成功したかは分からないのですが、だんだん作家というより、企業を回ってお金を持ってくる職業になりかかってきたので、「これはダメだ」と思って引退することにしました。

 最初は自分の作品を売るためにメディアミックスを行っていたのですが、だんだん展開が大げさになったり、お金もかかったりするようになります。今のゲーム業界を見ているようで、昔のゲームは開発費や宣伝費が安くても売れていたのですが、最近のPS3のゲームでは何十億円も開発費をかけないとゲーム自体が出ないこともあるのと似ているかもしれません。メディアミックスも僕がやっていた20年前の黎明期は、手作りでもそこそこ成功できたんですね。

 当時はメディアミックスという言葉自体がなかったので、何をもって成功と言うかも実は分かりませんでした。アニメ化することによる広告効果はどのくらいなのか、とか一切出ていませんでした。トータルの収支も僕しか知らないという感じで、出版社など関係してくれた企業はもうかったところは次も組んでもらえましたが、もうからなかったところは次にいなくなってしまったというようなことになっていました。

桜庭一樹著『赤×ピンク』(ファミ通文庫)。直木賞作家の桜庭一樹さんもライトノベル出身

 今、ライトノベル業界は作家も多くて、世間の注目も浴びています。当時はノベルの人たちから“ライト”なノベルと言われているようなところでやっていて、「僕らの作品は小説として認められないのか」みたいに思っていました。僕の作品は確かに小説として認められませんでしたが(笑)。最近ではライトノベルに評論家も出てきていてビックリしましたね、「これでこの業界も一人前だな」と。そういった劣等感からの跳ね返しで、「売らないといけない」という気持ちがメディアミックスにつながったんだと思います。

 オタク的にはあまり「売る売る」と言っていると、2ちゃんねるなどネットで叩かれるので、あまり言うのも何だかなと思うのですが、当時は売ることに関して、もうちょっと大らかでした。それでも売れていないと終わっちゃうよという時代ではあったので、メディアミックスという展開に踏み切れたのかなと思います。

 最初はさまざまな協力者がいてやれたのですが、そのうちにみなさんやり方が分かってくると、自分のやり方は陳腐になってきてしまいました。大企業がやり方が分かったら、やっぱり個人ではとても太刀打ちできません。

 最終的に僕が何をやらされていたかというと、「この企画どうですか?」と売り込むと、「あかほりさん、ちょっとすいません。やりますから、このテレビのスポンサー2枠埋めてください」と言われて、「何で俺が2枠埋めないといけないんだ」みたいなことになっていました。「5枠のうち2枠埋まるとうまくいくんですよ」と言うので、いろんな人脈を駆使して「申しわけないけど、これだけの金額出して、スポンサーになってくれないか」と電話をかけまくって2枠埋めてきたら、「それ以上、仕事をやられると、僕らの価値がなくなるのでやめてください」と言われて、「何だこりゃ」と。最終的には、都合のいい御用聞きになっていました。

 メディアミックスという言葉自体もない時代はそういう風に手作りでやっていて、個人が企業の担当者に直接会いに行けたし、メディアミックスするとどういう効果があるのか企業も一切分かっていませんでした。それがいつ終焉したのか分からないのですが、僕らのころはそんな手作り感あふれる黎明の時代だったと言えます。

 →アニメ化は必ずしもうれしくない!?――作家とメディアミックスの微妙な関係

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