「好き」を仕事にする、ではなく「想い」を仕事にせよ(3/3 ページ)

» 2011年12月20日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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「想い」を仕事にせよ

 さて、最後に「想い」について補足を。

 私がここで使っている「想い」という言葉のニュアンスは、「具体的な像・姿」×「意義・理念・使命感」の2要素の組み合わせです。ですから、imaginationとaspirationの混合といった感じです。

 この組み合わせを噛み砕いて表現すると、「想い」=「自分がこうありたい状態」×「〜のために」となりましょうか。

 従って、自分がこうなりたい、ああなりたいと想像するだけを「想いを描く」とは言わないのです。そこに「何のために」という意義づけがあって初めて「想いを描く」が成り立ちます。

 よく「『好き』を仕事にするのが良い」と言われます。私はこれは、半煮えの考え方だと思っています(半煮えということで否定ではありません。好きであることはとても大事です)。

 私は、好きを仕事にしようと脱サラをした人で、その後すぐに行き詰まってしまう事例をいくつも眼にしてきました。

 それは1つに、そのことが好きだという愛好者の目線は、いかにそれを生業として継続させていくかという経営者の目線とはかなり異なっているので、好きという熱や思い込みだけでは立ち行かなくなる状況が生まれるから。

 そしてもう1つは、「好き」は、ちょっとしたきっかけで、いとも簡単に「嫌いになった」「飽きた」に豹変するからです。

 さらに1つは、「好きであれば何事も何とかなる!」という能天気さのみが一人走りして、他人の成功イメージをただ単に真似するだけで、自分独自のイメージを持つことをしないから。

 ですから、私の主張は「好き」を仕事にするのではない。「想い」を仕事にせよ――となるのです。

 自分がこうありたいという自分なりのイメージを持つ。そして、その底辺には、「〜のために」という意義をしっかり持つ。「想い」を仕事にする時、人は良いアイデアも湧いてくるし、辛抱強く粘ることもできる、多少の苦難があっても飽きずに継続ができる。そうしてもがいているうちに、霧の向こうに自分の山がしっかり見えてくる。

 これからは、自分なりの「働く想い」を描く者と描かざる者の間で、キャリア・人生がくっきり分かれるという二極化が進みます。想いを描き、エネルギーを無尽蔵に湧かせながらキャリアマラソンを楽しむ人たちと、想いを持たないがゆえに現状のストレスにあっぷあっぷで、将来に不安を抱えながら走る人たちと。(村山昇)

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