前横浜市長が、スキャンダルの餌食にされた理由中田宏「政治家の殺し方」(最終回)(1/2 ページ)

» 2012年02月03日 16時00分 公開
[中田宏,Business Media 誠]

政治家の殺し方:

この連載は書籍『政治家の殺し方』(幻冬舎)から抜粋、再編集したものです。

前横浜市長の中田宏氏は「女性スキャンダルまみれ」で「ハレンチ市長」と命名された。悩み苦しんで白髪頭となり、死を考えたこともあった。今だからこそ語れる、地方政治のダークな実態とは。

中田宏氏のプロフィール

昭和39(1964)年9月20日生まれ。会社員の父親の転勤に伴い小学生から高校生の間は横浜、福岡、大阪、茅ケ崎、横浜と移り住む。身長184センチ、体重75キロ。趣味は読書とフィットネスジムでのトレーニング。座右の書は「路傍の石」(山本有三)、座右の銘は「先憂後楽」。血液型、性格共にA型。


なぜスキャンダルの餌食にされたのか

 私がここまで狙われるのには理由がある。それは利権構造にメスを入れ、甘い汁を吸ってきた人間を追い詰めてしまったことによる。私が彼らの意のままに操られる市長であれば、スキャンダルに巻き込まれることはなかっただろうし、ハレンチ市長などという不名誉なレッテルを貼られることもなかっただろう。

 私からすれば、横浜市にはびこっていた利権構造にノーを突きつけるのが自分の使命だと信じ、無愛想なままに、その決断をすることに集中していた。それが彼らの怒りを買い、私をスキャンダルまみれにしようとする行動に駆らせたのだと思う。一口に利権といっても、数え上げればきりがない。公共事業、公務員の待遇、施設管理、市役所の備品発注、土地利用規制、各種補助金、福祉、教育、ゴミ処理……あらゆるものに利権は絡んでいる。世間からは「利益=悪」と指弾されるが、いままで仕事を成り立たせ、生活をしてきた人からすれば、まさに死活問題である。利益を得てきた既得権者からすれば、属する分野は違っても私が共通の敵となる。「敵の敵は味方」という言葉があるが、どこかで私のネガティブ評が作り出されれば、みんながそれに乗っかる。いつしか、そういう構図になっていた。

 そもそも私が横浜市長になったのは、市の負債を減らし、健全財政にするためだった。北海道の夕張市のように財政が破たんしてしまったら大変なことになる。いまのうちに手を打たなければ、と思ったのだ。

 よく言われることだが、いまの日本は国も地方も、民間企業だったらとっくに倒産している状態だ。それでも、とめどなく借金を増やしながら行政を継続している。だが、行政の実態を知る私としては、国も地方も事実上破たんしていると思っている。

 2002年の横浜市長選挙では、私以外に適任者がいれば応援に回っただろう。しかし、当時、立候補表明していたのは3期12年にわたって市長職を務めた高秀秀信氏だけだった。4期目の出馬を表明した氏には自民党、民主党、公明党といった政党が推薦を出して組織応援をする、いわゆる相乗り選挙となっていた。当然、各党を支持する関係団体、自民党なら業界団体、民主党なら労働組合が推薦決定をする。さらに、宗教団体や市民団体までもがついていた。

 しかも、各党相乗り選挙であることに加え、横浜市長選挙は1978年以来20年以上6回にわたって30%台の低投票率だ。もはやだれの目にも勝ち目はなく、4期目の盤石な現職市長の対抗馬として名乗り出る人はいない。2002年3月の市長選挙の直前になっても有力な候補は出てこなかった。そうこうするうちに、当時、横浜市内選出で無所属の衆議院議員だった私に、周囲から出馬要請の声が聞こえ始めた。

 「このままでは高秀氏が4選してしまう。そうなれば、市の負債は大きくなるばかりだ。対抗馬がいないのなら、最後はあなたしかいない」

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