生産台数9000万台超! ホンダのスーパーカブがスゴい仕事をしたら“世界で”売れた(5/7 ページ)

» 2014年10月29日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

スーパーカブの販売網

土肥: 話は前後しますが、1958年にスーパーカブが誕生して、どのようにして販売されたのでしょうか? いまのようにバイクの販売店はなかったですよね?

広報: はい。当時の価格は、一般の人でも買える5万5000円に設定しました。しかし、その価格だと販売台数が伸びなければ、赤字になってしまう。なので、会社としてはたくさん売らなければいけない状況でした。

 1952年に発売したカブF型は、自転車用補助エンジンなので、販売網を自転車店に広げました。スーパーカブを発売したときには、カブF型で取引のあった自転車店に加えて、材木商や乾物店などバイクとは関係のない業種にまで拡大したんですよ。販売店を募集したところ、約3500社から応募があって、そのうち約600社が選ばれました。

 当時のホンダは、大きい会社ではありませんでした。「自分たちは、いいバイクをつくったぞ」と思っていても、なかなか売れませんでした。「いい商品+販売網」がしっかりしていなかったので、世の中にはなかなか浸透しなかったんですよね。そこで、営業を担当していた藤沢は販売網を構築するために、ダイレクトメールを送ったんですよ。「卸価格は1万9000円。代金は前金で願いたい。郵便為替でも結構だし、三菱銀行京橋支店に振り込んでいただいてもよい」などと書いて。

土肥: ほー。

広報: また、販売店にはエプロンを配ったんですよ。

土肥: エプロン? なぜですか?

広報: スーパーカブには「たくさんの女性に乗っていただきたい」というコンセプトがあったので、デザインを工夫しました。当時のバイクは、またぐスペースの前部に燃料タンクを置くタイプが多かったんですよ。しかし、スーパーカブはまたぎやすさを優先するために、シートの下に燃料タンクを置きました。

 女性でも気軽に買いに来てもらえるように、女性に接客してもらってはどうかと考えました。ということで、販売店にエプロンを配りました。

1966年5月に発売された「スーパーカブC50」

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