早朝、ベッドの中にいて、こんな音を聞いたことがある人も多いはず。低いエンジンが響き、時折交る変速ペダルの音……。新聞配達の人が乗るスーパーカブの音は、“日本の朝の音”と言ってもいいだろう。
街中で走っているオジサンのバイクでしょう? と思われるかもしれないが、そんじょそこらのバイクとはわけが違う。スーパーカブは1958年に誕生して、2014年3月時点で生産累計台数は8700万台を超えている。世界で最も売れているバイクは、なぜ多くの人に支持されているのだろうか。本題に入る前に、スーパーカブの歴史を簡単に振り返ってみよう。
第二次世界大戦が終わった昭和20年代の初めのころ、日本では海外モデルを参考にしてバイクやスクーターを中心に製造が始まっていた。でも、価格が高い。一般の人には手が届かないモノだったので、本田技研工業(以下、ホンダ)の創業者・本田宗一郎は「誰でも使える便利な商品を」ということで、自転車用補助エンジンを開発することに。1952年に発売した“白タンクに赤エンジン”のカブF型が大ヒット。ホンダは勢いに乗って、スクーターの「ジュノオ」などを販売するものの、大衆の心をつかむことができず、売り上げは低迷した。また、大衆のニーズは補助エンジンから本格バイクへと移っていったので、カブF型がパタリと売れなくなってしまったのだ。
まるで“ジェットコースター”のような浮き沈みの激しい経営を続けていたが、ホンダは250CC以上のバイクを発売することで、なんとか難局を乗り切った。しかし、それらは誰もが乗れるモノではない。一般の人が簡単に乗れるバイクをつくってみてはどうだろうか? ということで、1956年の暮れ、経営の天才と言われた藤沢武夫と技術の天才と言われた本田が欧州に視察旅行へ。
現地に着いた2人は、すぐにバイク店や自転車店を訪れ、欧州で生産されているさまざまなモペッドを見て歩く。モペッドとは、ペダル付きのオートバイのこと。免許がいらないので、多くの人が利用していたが、本田は違和感を覚えていた。「(モペッドは)欧州の良い道路で走っているので、日本では適しない」(本田)。当時の日本は、道路の舗装率が低かった。デコボコ道でも安定して走行できるモノがいい、ということでスーパーカブの開発が進められていくのだ。
毎朝毎朝、設計室に現れた本田は「どうなった?」と進ちょく状況を聞きに来たという。ときには檄が飛んだ。「蕎麦屋の出前持ちが片手で運転できるモノをつくれ!」「手の内に入るモノをつくれ!(注:誰でも簡単に扱えるコンパクトなモノの意味)」と。
「ああでもない、こうでもない」と開発担当者だけでなく、他部署の人も巻き込んで議論が交わされ、アイデアが形になっていった。そして、1958年8月。開発期間に1年8カ月を費やして、「スーパーカブC100」が完成した。
発売時の価格は5万5000円(大卒初任給は1万3467円)。一般の人にも手の届く価格だったことから、発売直後から売れに売れまくった。その勢いは日本だけにとどまらず、米国や東南アジアなどにも波及して、“日本発の世界ヒット商品”となったのだ。
さて、前置きが長くなってしまったが、スーパーカブは誕生してから50年以上経っているのに、なぜ売れ続けているのだろうか。その秘密について、同社の広報部にうかがった。聞き手は、Business Media 誠編集部の土肥義則。
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