お腹が減った、どうすれば? 福島原発に近いホテル(1泊7500円)に宿泊烏賀陽弘道の時事日想(2/5 ページ)

» 2015年02月05日 08時00分 公開
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

生活の気配が消えた街

 私が走ったのは11月のよく晴れた午後だった。ちょっと喉が渇いた。小腹が減った。トイレに行きたい。2時間というと、それくらいの時間である。

 そう思うと、ハンドルを握りながら目はコンビニやガソリンスタンド、ジュースの自動販売機を探す。そしてすぐに気づく。

 この40キロの間、そんなものは1つもないのだ。走っても走っても、開いている店や自動販売機がない。そんな「生活の気配が消えた街」を走っている。

 2011年3月の福島第一原発事故後、新聞やテレビの報道には「福島第一原発から半径20キロの円」を描いた地図が現れるようになった。翌年夏までその円は「立ち入り禁止区域」「警戒区域」という禍々(まがまが)しい名前で呼ばれた。その後「除染が済んだ」「線量が下がった」などの理由で「除染が済んだら居住していい区域」「立ち入ってもいいが住めない区域」「依然立ち入りもできない区域」の3種類に改変された。いま公式には「立ち入りすらできない地区」は「帰還困難区域」と呼ばれる場所だけだ。

 そのはずなのだが、走ってみると40キロの間にコンビニはなく、自動販売機もひとつも稼働していない。

 クルマのディーラーは地震でガラスが割れたままだ。衣料品スーパーは天井が落ちている。ボウリング場、中古車センター、ラーメン屋、スナック――よく見ればどれも、ごく平凡な国道沿いの建物である。しかしことごことくガラスが割れ、壁が落ち、雑草に埋もれている。

国道6号線沿いの飲食店。震災の破壊を片付ける間もなく避難を強いられ、無人になったまま間もなく4年を迎える

 だんだん、気が滅入ってくる。国道6号が開通するまで、福島第一原発事故直近40キロの大きさを実感することは難しかった。実際に走ってみると、けっこう長距離だと分かる。

 考えてみてほしい。40キロとは、関東でいえば東京駅から八王子駅までに相当する。関西なら梅田駅(大阪)から河原町駅(京都)も同じくらいだ。そんな巨大な空間が、原発事故から4年近く経っても無人地帯になっている。国立も吉祥寺も、高円寺も中野も新宿も御茶ノ水も無人なのだ。コンビニも自動販売機も稼働していない。店や家が廃墟になっている。そんな姿を想像してみてほしい。

津波で破壊されたままのJR富岡駅に、犠牲者を慰霊する石碑ができていた

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