生きているうちに「ごめんなさい」と言えなかった:人が死ぬときに後悔する34のリスト(2/2 ページ)
死を意識する病気にかかっている患者が、大切な人に謝れなかったことを悔いる場面に接してきました。私には、そうした患者の思いが痛いほど分かります。なぜなら私も、母に「ごめんなさい」と言えなかったことを今でも後悔しているからです。
母が生きていろうちに謝罪できなかった
私の母が亡くなってもう30年以上が経ちましたが、私にはいまだに母に対してあることをしてしまった後悔があります。母が亡くなったと聞いた夜、頭に浮かんだのもそのことでした。
母が苦労をしたことは当時から分かっていたというのに、学生の頃に何かのはずみで母と口論になり、つい心にもなく母に「バカなんだから」と口走ってしまったのです。母も気の強い性格ですから、いつもなら「うるさいッ」とか負けずに言い返してくるはずなのですが、その時はなぜかシュンと小さくなって落ち込んでしまいました。そんな4、5年前の姿を、亡くなったその日の深夜に不意に思い出したのです。
母に悪態をついたことは今でも急に思い出します。謝ることをせずに母を亡くしたことはまだ引っかかっています。
母は53歳で生涯をまっとうしたと私は思っていますが、母にしてあげられなかった後悔は、ほかにもたくさんあります。母を海外に1度も行かせてあげられなかったこと、リウマチを治してあげられなかったこと。まだ独身でしたから、妻も、もちろん孫も見せてあげられなかったこと……。
私は母の死に立ち会えませんでしたが、だからといってそれを後悔はしていません。
そんなことよりも大事なのは、話ができるときに大切な人と語り合うことではないでしょうか。生きている間に語り尽くすことのほうが、死に立ち会うことよりもよっぽど大事なことだと思います。
死に立ち会えないのが親不孝なのではありません。生きていろうちに、謝るべきことを謝っておかなかったほうがずっと親不孝だと私は思います。謝りたいことがあれば、相手が生きているうちに謝るべきです。
(次回は「やりたかったことができなかった」について)
関連記事
- これからの“死”の話をしよう
何事においても、軽微であればあるほどすぐに決めて取り掛かれるし、迷いなく前向きに行動できる。しかし重大なことは、なかなか決められないし、取り組み姿勢も恐る恐るになりがちだ。 - 多死社会の入口で感じた「悲しくて楽しい」こと
最近、「生老病死(しょうろうびょうし)」を考える機会があった。「生まれる、老いる、病む、死ぬ」の4つ、必ずやってくる苦悩。今後増える「死」を楽しく語り合えることが大切なのだ。 - 今日が人生最後の日だとしたら? “人生の有限感”が生き方を変える
多くの起業家が持つという“人生の有限感”。「人間、いつ死ぬか分からない」と感じることによって、逆に不安がなくなり、アクセルを全開にして、進みたい道を進めるようになるということです。 - 死んだら発動する“お別れサービス”は何年先まで保証する?
自分が死んだら、指定したアドレスにお別れメールを送ったり、自分のブログにメッセージを載せたりできる“お別れサービス”がある。それらがどのように運用されているか調べてみた。 - 費用がネックに? 自分の葬式「してほしくない」理由
自分の葬式をしてほしいと思っている人はどのくらいいるのだろうか。20〜40代の人に聞いたところ、「してほしい」と答えた人は50%、「してほしくない」が50%と二分する結果となった。アイシェア調べ。 - 死ぬまでに泳いでみたい12のスポット
旅行クチコミサイトが世界の「ワイルドな」スイミングスポットを紹介している。泳ぐには安全でも、快適でもない……という。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.