「雪かきみたいなものだよね」
「初音ミク」発売から1年半あまり。誰も足を踏み入れたことがない雪原で雪をかき、人が通れる道を模索してきたと、開発元クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は話す。
07年夏。歌声合成ソフトとしてデビューした初音ミクは、これまでにない流れを経て人気キャラになった。企業がヒットを仕掛けたのではなく、個人だけで盛りあがったわけでもない。無数の個人と企業が、それぞれのイメージでミクを歌わせ、描き、創り、イメージを共有し、ふくらませていった。
最初に動いたのは個人だった。初音ミクで作った楽曲が「ニコニコ動画」に投稿され、イラストを描く人、動画を作る人、3Dモデルを作る人――あらゆる個人が創作物を発表。それを見た人がさらに盛り上げた。
同社もこの動きに応え、ミクのキャラクターを非商用なら自由に利用・2次創作できるようガイドラインを出し、投稿サイト「ピアプロ」を開設。“創る個人”を応援した。
ムーブメントに目を付けたコンテンツ関連企業からは、商品化の引き合いが殺到。そのうちいくつかが実現し、フィギュアなど商品も生まれた。楽曲は着うたやCDになり、オリコンランキング上位に入った作品もある。
北海道・札幌で地道に音素材やDTMソフトを売ってきた同社にとって、ミクが起こしたムーブメントは想定外。だがこれを、チャンスととらえた。ビジネスチャンスではなく、理想を実現するためのチャンスだ。
実現したい理想があった。「DTMという、音楽業界の花形ではない“はしっこ”にいた」(伊藤社長)同社が、顧客であるアマチュアミュージシャンと接する中で感じ続けていた理想は、「朝思いついたメロディーが、夕方には曲になって、その夜にはiTunesに配信できる」ような世界だ。
ミク商品の乱発を避けたのも、収益源がないままピアプロを開設したのも、その理想に一歩でも近づくため。「もうからないし、誰もやりたがらないから」――同社でCGMを担当してる西尾公孝さんは言う。
初音ミクは発売当初から熱狂的な歓迎を受け、ネットにはユーザーが作ったミク作品があふれた。「ニコニコ動画」では、「みくみくにしてあげる【してやんよ】」など100万回以上再生される人気楽曲が次々に生まれ、イラストや動画を作って発表するユーザーも現れ、「はちゅねみく」などユーザーが作った新キャラも人気となった(DTMブーム再来!? 「初音ミク」が掘り起こす“名なしの才能”)。
急速に盛り上がったブームを見たコンテンツ関連企業からは、商品化の問い合わせが殺到。「CDを出さないか」「アニメ化しないか」「ぜひゲームに」――07年末〜08年春にかけて同社には、さまざまな企業からありとあらゆる打診があったという。
「当時、企業はみんな焦っていて、クオリティー度外視で商品化を急ごうとする企業も多かった。“同人ゴロ”と呼ばれるような企業からも『CD出してやる』と連絡があった」と、初音ミクを開発した、同社の佐々木渉さんは振り返る。
もうけることが目的なら、クオリティーなど気にせずすべてのオファーにOKすればよかったかもしれないが、そうはしなかった。
「一度に商品化すれば、売れ残りの山ができることが目に浮かんだ」と伊藤社長は言う。一時的なブームに見えてしまうのを嫌い、テレビでの露出も報道系を除いては、原則断ってきた。
「ムーブメントを長続きさせ、1〜2年後にミクを使い始める人にも、チャンスがある状態を維持したかった」(佐々木さん)から、キャラクターとしてのミクの寿命を浪費したくなかった。
ミクは当時「ガラス細工状態」だったと伊藤社長は振り返る。「何かすると崩れて、つぶされてしまうんじゃないかという危機感もあった。商品化を急ごうとする企業との攻防戦だった」
実際、作品をめぐるトラブルも起きた。07年末の「みくみく騒動」がその例だ。ユーザーが作り、ユーザーが盛り上げた楽曲を企業が商品化しようとした際、ちょっとした手違いからトラブルが起き、ネットで大きな騒ぎになった。
ムーブメントが安定してくるにつれ、商品化の企画が徐々に実現していった。フィギュアやクレーンゲームのプライズ、ミニ四駆といった商品を発売。PSP用ゲームの発売も決まったほか、ミク楽曲の着うた化やCD化も進んでいる。
企画にOKを出す基準は「ほかの企画とかぶっていないか」「ミクである必要があるかどうか」「ユーザーが喜ぶかどうか」など。ミクの寿命を無用に削らないための配慮や、品質維持を担当する同社側のスタッフが限られているという実務的な問題もあり、乱発は避けている。
ミクをデザインした「痛車」が、「SUPER GT」に参戦したことも話題になった。モータースポーツ人気が低迷する中、レーシングチーム側から「キャラクターを前に出すことで、キャラのファンがチームを応援するという新しいビジネスモデルを作りたい」という打診を受け、応じた。痛車を通してミクを知った人が、ドライブミュージックなどで曲を聴いてくれれば、という期待もあった。
フィギュアやゲーム、痛車など一部の企画では、ピアプロでユーザーからデザイン案や楽曲などを募集した。「単なる企業企画ではなく、ユーザーのみなさんにも参加してもらいたかったから」(西尾さん)という思いがあった。それに「ミクのイメージはユーザー1人1人の中にある。ユーザーの思いの表現をそのまま使った方がリアルだから」(佐々木さん)。
個人作家が世に出ることを後押ししながら、企業にもメリットになるような新たなキャラクタービジネスのモデルを、同社は模索している。
同社の戦略は奏功し、ミクムーブメントは持続。個人が作ったミク作品の盛り上がりも、息長く続いている。
「ピアプロ」には多くのイラストや楽曲、歌詞が投稿され、作家同士のコラボレーションが進んだ。曲を作った人がピアプロで合うイラストを探し、動画にしてニコニコ動画に投稿する――こんな流れも当たり前になった(楽器はMacとiPhone リビングで打ち込む初音ミク曲 )。
「VOCALOIDの作曲者が、曲中の音色を選ぶように、曲の雰囲気に合った絵をピアプロから借りてくる作業が入っていて、それを含めて作品作りになっている」(佐々木さん)
ピアプロやニコニコ動画で人気となったミク楽曲の一部は、着うたやCDとして発売され、オリコン週間ランキングトップ10以内に入るヒット作品も出た。ユーザーが作り、ユーザーが盛り上げたミク作品の“メジャーデビュー”だ。
メジャーデビューした楽曲の多くは、一般的なやり方とは異なる著作権処理を行っているという。「既存の体制に乗る方が楽だし批判もされないのだが、今の音楽産業は何かおかしいと思っていて、自分がゼロから作れるとしたらこうは作らないよな、という漠然とした思いがあったから」(伊藤社長)
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