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正義のジャーナリズムか、史上最悪の情報テロか?――『全貌ウィキリークス』で読むWikileaks(1/5 ページ)

» 2011年02月10日 21時00分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]

 2010年、世界中を騒然とさせた政府等の内部文書告発サイト「ウィキリークス」(参照リンク)。その創始者、ジュリアン・アサンジはわずか1年で世界屈指の有名人となった。米『Times』誌の恒例企画”Person of the year 2010"では読者投票で1位になったほどだ(受賞したのは10位のフェイスブック創始者、マーク・ザッカーバーグ)。しかも2月3日、ウィキリークスはノーベル平和賞の候補に推薦されたことが明らかになった。

 しかし、さまざまな秘密文書を立て続けに公開するウィキリークスとは何なのか、どういう存在なのか? 日本ではウィキリークスについて総合的に紹介する記事やテレビ番組などが少なかったこともあり、この問いにはっきり答えられる日本人は少ないだろう。

 ウィキリークスとは何か。新しい形の「メディア」、正義のジャーナリズムなのか。それとも史上最悪の情報テロなのか。なぜ米国政府に目の敵にされているのか? そして、ジュリアン・アサンジとはどのような人物で何を目指しているのか――ウィキリークス創始者・ジュリアン・アサンジへの密着取材によって、これらの問いへの解に限りなく近い解答を与えてくれるのが、2月10日発売の書籍『全貌ウィキリークス』(早川書房)だ。

 ウィキリークスとは何か? なぜ2010年にあれほどの注目を集めるに至ったのか?――本記事では『全貌ウィキリークス』の内容をもとに、それを考えていきたい。

大騒動は、1本の流出ビデオから始まった

book 『全貌ウィキリークス』(早川書房)マルセル・ローゼンバッハ、ホルガー・シュタルク

 ネットにアップされた1本の動画がきっかけとなり、国防の話題で国中が沸騰する――昨年起こった、尖閣諸島沖での流出ビデオ騒動を覚えている人であれば容易に想像がつくだろう。ウィキリークスが最初に世界各国で話題になったのも、実はある流出ビデオの公開がきっかけだった。

 「コラテラル・マーダー」(付随的殺人)と名付けられたこのビデオは、2007年7月12日、イラクのニュー・バグダッド地区で撮影されたものである。イラク戦争のただ中にあった米軍兵士たちはこの日、戦闘状態にはなかったのにも関わらず、戦闘ヘリ・アパッチから非戦闘員12人を機銃掃射したのだ。その中には、ロイター通信のカメラマンであるナミル・ヌール・エルディーンと、その運転手サイード・チマグも含まれていた。

 ほとんどの人たちがこの攻撃で亡くなったが、一人だけ生き延びたのが運転手のサイードだった。這って逃げようとするサイードに気づいた戦闘ヘリの米兵は、「ここはひとつ、武器を手にとってもらいたいもんだな」(そうすれば出動規則に従って改めて発砲できるため)と口にしたが、そうはならなかった。やがて1台の青いミニバン(軍用車ではない)がやってきて、ミニバンを降りた男が重傷を負ったサイードを助けようとする。それを見た米兵は発砲許可を求め、新たに銃撃。サイードだけでなく、ミニバンの運転手も死亡した。さらに、後部座席に座っていた運転手の2人の子どもたち(10歳、5歳)も重傷を負ったのだ。

 2010年4月、ウィキリークスはワシントンのナショナル・プレスクラブで記者会見を行い、「コラテラル・マーダー」ビデオを公開した。その衝撃は大きかった。アル・ジャジーラがトップニュースでこれを伝え、アサンジのインタビューを放映したのに続き、BBC、CNNなどさまざまなメディアがこれを報じた。ウィキリークスは専用サイト"collateralmurder.org"を開設し、さらにYouTubeなどの動画サイトにこのビデオをアップした。

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