ITmedia NEWS >

正義のジャーナリズムか、史上最悪の情報テロか?――『全貌ウィキリークス』で読むWikileaks(2/5 ページ)

» 2011年02月10日 21時00分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]

 この攻撃について米国の公式発表では「明らかに敵の勢力との戦闘行為に巻き込まれていたため」と説明しており、ビデオの内容とはどう見ても矛盾している。しかし、ビデオが本物なのかを疑問視する声はほとんどなかった。実はロイター通信もこのビデオを2007年8月に入手しようとしたのだが、結局うまくいかなかったのだ。

 コラテラル・マーダーは、間違いなく本物の流出ビデオだった。このビデオをウィキリークスに投稿したのは、米軍のブラッドリー・マニング上等兵。彼はイラクの軍事基地ハマーに勤務していた情報分析官で、米軍の「最高機密」を扱う権限を持った若者だった。軍事基地での生活での寂しさに耐えかねていたマニングは、チャット相手だったエイドリアン・ラモというハッカーに心を許し、コラテラル・マーダービデオについてだけでなく、その他さまざまな米軍の機密情報についてチャットで話してしまうのである。その後マニングは、ウィキリークスへの投稿者の中で唯一、身元が割れて、逮捕された人物となった(現在もマニングは服役中)。

YouTubeに投稿されている、「コラテラル・マーダー」ビデオの編集済みショートバージョン(上)と編集無しのフルバージョン(下)

7月、アフガニスタン戦闘文書を暴露

 『全貌ウィキリークス』を読んでいて驚かされるのが、事件の経緯が非常にスピーディなことだ。ウィキリークスは2006年12月にスタートしたが、2010年に入ってからは立て続けに数々の機密文書を暴露して、知名度を上げていく。これまでなら1通でも大スクープになるような文書を、何万通という単位でリークしたのだ。

 ウィキリークスは、2010年7月、アフガン戦争に関する米軍の機密文書を公開した。アフガニスタンでの戦闘報告を中心とするその文書の数は実に7万7000点。しかもほとんどが「極秘(Top secret)」扱いのものだった。

 この膨大な機密文書をリークするにあたり、アサンジは初めて、伝統ある既存の大手メディアとの協働を試みる。声をかけたのはドイツの雑誌『シュピーゲル』、米国の新聞『ニューヨークタイムズ』、英国の新聞『ガーディアン』の三媒体だった。後にウィキリークスはニューヨークタイムズと険悪な関係に陥りかけるが、シュピーゲル、ガーディアンとは良好な関係を保ち続けた。実は『全貌ウィキリークス』は、シュピーゲルのスタッフ2名の手で書かれたものである。

 これら既存メディアとの共同作業の中で、アサンジはアフガン戦争の膨大な生データを、使いやすいデータベースにするべく才能を発揮する。機密文書のデータそのものは単純なCSVファイルだったので、データベース化するにあたり、数千もの個々のできごとをその重要度に応じて探しやすくすべきだと考えたのだ。一般市民の死者の数で各文書をソートする機能を付けたり、どこで起こった出来事なのかが分かりやすいように位置情報を付加したり……ネットにアクセスできる人であれば誰でも知りたい情報にたどり着ける、アフガン戦争のマルチメディアデータベースを作ろうとしたのだ。現在進行中の戦争において、これは画期的(そしてとんでもない)ことである。

 アフガン戦争の機密文書をリークしたことで、ウィキリークスはホワイトハウスと既存メディアから強い反発を受けることになる。ホワイトハウスが反発した(建前上の)理由は大きく2つだ。(1)文書には新しいことを含んでいない(2)公表によって人間の生命が脅かされる危険がある(米軍に協力している人たちなど)、というのである。ホワイトハウスはその後も、同じ主張を繰り返した。

 その一方で、アフガン戦争についての報道量が急激に増えた。あるリサーチ会社によれば、報道全体の6%だったアフガン戦争関連報道が、ウィキリークスの機密文書公開後、18%に増えたという。また、質問に回答した人のうち、実に50%が「アフガン戦争報告の公開は国民の関心事だ」と答えたのだ。アサンジの狙い通り、ことは進んでいった。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.