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梯郁太郎氏はなぜAppleから距離を置いたのか立ちどまるよふりむくよ(2/5 ページ)

» 2017年04月04日 06時11分 公開
[松尾公也ITmedia]

Appleの楽器進出を阻んだ「あるシバリ」とは

 それは、もう1つのApple。ビートルズの版権管理会社であるApple Corpsからの訴訟問題である。Apple vs. Apple訴訟は1978年、Apple Computer設立直後にさかのぼる。その和解条件は、音楽事業に参入しないこと。Apple Computerはコンピュータビジネス、Apple Corpsは音楽ビジネスという住み分けを保つ、というものだった。

 しかし、Appleが何か音楽に関わる機能をApple IIやMacintoshに追加するたびにApple Corpsから「難癖」がつけられ、Atari STでは標準搭載されていたMIDIポートをApple ][やMacintoshに搭載することも契約上できなくなってしまった。

 ビートルズAppleからはさらなる難題も押し付けられた。ChimesというMacのOSに組み込まれたシステムサウンドが、「これは楽器音ということではないか」とApple Corpsの法務部からクレームがつき、Macintoshの起動音制作で知られるジム・リークス氏が、その名前を「sosumi」(ほら、訴えてみろよ)と挑戦的に変更したというエピソードは有名だ。それがSystem 7、1991年のこと。

 藤本さんのインタビューに戻ると、1996年か97年に梯氏はApple Computerを訪問し、QuickTime 2.0で追加されるMIDI再生機能用にGM音源(正確にはそのローランド独自拡張であるGS音源)のサブセットを搭載する話をしたという。

 ただ、その時期に関しては梯氏の記憶違いだったか、最初の契約ではなくて契約更新の頃だったのかもしれない。QuickTime 2.0のリリースは1994年で、別の箇所ではこの年に契約を結んだと話している。ジョン・スカリーかマイケル・スピンドラーがCEOだった時代だ。

 そしてApple CorpsはこのMIDI音源搭載を証拠物件として、Macintoshは楽器になろうとしているともっと強硬に出るべきだったかもしれない。

 QuickTime 2.0ではすっぴんのシステムで標準MIDIファイル(SMF)を再生したり、ソフトウェアキーボードや接続したMIDI鍵盤で演奏も可能。その背景にあったのはローランドで、クパティーノで交渉に当たったのは梯氏だったというわけだ。

 ちなみに、このGS音源提供のきっかけになったと記事で言及されている箱根で行われたフォーラムというのは、ジョン・スカリーCEO(当時)が提唱し、1992年に行われたマルチメディア国際会議「箱根フォーラム」のことで、AppleだけでなくCD-ROMベースのマルチメディアパソコンFM-TOWNSを有していた富士通なども参加していた。

 QuickTime 2.0がリリースされたときのWindowsはというと、Twelve Tone Systems(後のCakewalk)の貧弱なMIDIシーケンサーしかない状態で、音楽制作はMacintoshの天下だった。Windowsにローランドから音源を供与されたGSサブセットがMicrosoft GS Wavetable Synthesizerとして標準搭載されるのはWindows 98以降のはるか先のこと。

 1995年からローランドはCakewalkのソフトをバンドルするようになり2008年に子会社化するが、2013年にはGibsonに売却。Gibson傘下となった2016年にCakewalkはSONARのMac対応を表明したという、なかなか興味深い展開になっている。

 このインタビューが行われた2011年の段階ではまだローランドがCakewalkを保持していることを前提に話を進めよう。

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