Amazonのre:MARSの後には、ロサンゼルスでE3を取材した。実のところ、今年のE3は「最後のつもり」で取材に来た。
イベントとしてのE3は、もうずっと課題だらけだったからだ。
2000年代後半、E3は一度開催規模を縮小している。あまりにお金がかかりすぎて、ゲームメーカー側が悲鳴を上げたからだ。発表会をやってメディアに伝えてもらうなら、大きな会場でお祭りをやる必要はないのではないか……? そうした疑問から、ロサンゼルス市内を離れ、サンタモニカのホテル群でカンファレンスを中心に行う形に切り替えている。2007年のことだ。
だが、結局2008年から会場を元のロサンゼルス・コンベンションセンターに戻し、2009年以降は、ふたたび「お祭り」に戻って行った。
当時は、発表をしてもメディアで採り上げられないと盛り上がらなかった。発表会だけでは専門媒体しか記事化しないため、ゲーム業界自体への注目度が下がる、とされたのだ。
現在はどうだろう?
イベントとしては再び曲がり角を迎えている。会場は盛り上がるが、それだけだ。過去と異なり、商談はE3に来なくてもできる。物理メディアでの販売は業界全体の半分を切り、「6月に商談しないと年末に販売できない」などということもない。
ゲームメーカー側も、ストリーミングで自由に消費者と接点が持てる。メディアを介する必要は減っている。実際、「世界中」に目を向ければ、E3会場そのものよりも、事前のストリーミングイベントを見て盛り上がっている人々の方がずっと多いのだ。
ソニー・インタラクティブエンタテインメントは出展を手控え、MicrosoftやElectronic Artsは会場外で独自にイベントを展開している。ブースも、過去のように大きな作り物を並べるところよりも、大量の試遊台を揃えるところが目立つ。
お祭りとしてのE3は必要だが、会場の価値はずっと低いものになった。「ネット上の盛り上がり」こそがE3なのだ。
2007年には、今ほどストリーミングメディアは存在しなかったし、スマートフォンも登場直後。初代iPhoneは、E3開催直後の6月に販売されたばかりで、まだまだ「色物」に過ぎなかった。ネットの回線も、数Mbps出ていれば高速、といえた。今なら、E3は場所を移してもネットは盛り上がるだろう。だが、あの当時は違ったのだ。
ストリーミングメディアとブロードバンドとスマートフォン。この3点セットが受容されることでなにが起きたかを、E3の変化は示しているのではないか。
結論だが、E3にはもうちょっと通おうと思っている。「メディアとマーケティング」の関係を分析する上で、これほど人々の間でのテクノロジー受容の変化が読めるイベントもない。まあ、そろそろ(ゲームカルチャーイベントの)PAXにも取材に行かないと……と思っているのだが。
AIやロボティクスは、10年後、いまよりもっとあたりまえのものになっているだろう。だが、いまはまだ、2007年のスマホやストリーミングメディアと同じような位置付けなのではないか。
そう考えると、10年後が改めて楽しみになってきた。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR