こうした動きと無縁だったのがIBMである。
もともと同社はパンチカードを高速に集計するTabulatorというマシンを製造していた会社と、タイムカード管理マシンの会社、貨幣勘定機を製造していた会社の3つが合併してできたが、このパンチカード部門が大きく伸び、現在につながっている。その途中でオフィス向けシステムも手掛けるようになっていき、その中には当然タイプライターもあった。
電動タイプライターといえばIBM Seletcric Typewriter(Photo09)が一番有名だが、実際には1947年には既にIBM Electric Typewriterが発売されており、Selectric Typewriterが世の中に出たのは1961年のことである。
これらはやがてワープロに置き換わっていくわけだが、このタイプライターがコンピュータの入出力に使われた、というのはDECとテレタイプの関係に同じである(というか、IBMの方が先でDECがまねをしたかったけれど、自前では電動タイプライターを用意できなかったために、TeletypeのASR-33を使った可能性もある)。これが最初の製品、という自信はない(もう少し前から何かあった気がするのだが、探しきれなかった)のだが、1963年に登場したIBM 1050(正式名称はData Communications Systemだが、要するに端末である)は、Selectric Typewriterと同じくゴルフボール状の「タイプボール」による印字システムを搭載しているが、そのキーボードは下記の写真の通り。
Aの横はCapsLock(というか、ShiftLock)になっている。こうした流れをくんで、1972年に出たIBM 3270といういわゆるターミナルが、こうしたプリンタ+キーボードにとって取って代わる形で普及し、その後はIBM 5250に続くのであるが、キーボードは次の通り。
制御コードの概念がなかったわけではなく、実際にEBCDICと呼ばれるIBMの文字コードにも制御コードそのものはあるのだが、キーボード側から明示的にこれを送る場合は専用キー(上の写真で左右にそうしたキーが配されているのが分かる)を利用したようで、少なくともControl+XXX、という概念そのものがIBMの文化には存在しなかったと考えてよいだろう。
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