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「大手と同じことをやっても勝てない」 サイバーエージェント傘下のプロレス団体社長に学ぶ、ベンチャーの戦い方マスクド・アナライズのAIベンチャー場外乱闘!(2/4 ページ)

» 2020年02月17日 07時00分 公開

マスクド:次に、DDT設立の経緯をお伺いします。現在、プロレスラー兼経営者として活動されていますが、子ども時代や学生時代に影響を受けたものはありますか。

高木社長

高木:子どもの頃からプロレスは好きでした。父親がテレビ局で働いていたので、番組の観覧に行くことも多かったです。大勢の人が関わる番組制作の現場に触れて、将来こういう職業に就きたいと思いました。大学ではイベントサークルを運営していましたが、お客さんに満足してもらうという点では、テレビ番組の制作やプロレスの興行と似ていましたね。

マスクド:DDTは試合の動画配信にも力を入れていますね。高木社長は大学卒業後、プロレス団体「屋台村プロレス」に所属し、活動されていました。そこから独立してDDTプロレスの旗揚げに至るには、どんな経緯がありましたか。

高木:きっかけは単純で、「プロのプロレスとは何なのか」という疑問があったからです。自分の中では、屋台村プロレスはアマチュアだという思いがあったので。その後、所属していたPWC(プロ・レスリング・クルセイダース)という団体が突然解散したときに、プロレスに対して迷いというか嫌気が差したこともありました。

 そのとき、NOSAWA選手(NOSAWA論外)たちに「俺たちはプロレスを諦めきれない」と言われ、彼らの熱意に心動かされてDDTを旗揚げしました。プロレスラーになったのは自分の意思ですが、(当初は)団体の旗揚げは全く考えていませんでしたね。

マスクド:そこからDDTが大きくなったのですか?

高木:旗揚げ直後は(当時主流だった紙媒体の)マスコミから全く取材されず、プロレスラーを名乗っても評価されない状態で、自分たちの存在意義を見い出せませんでした。一方で、プロレスラーとして認められて名をあげたいという、レスラーなら誰もが持つ反骨心は持っていましたね。しかしNOSAWA選手の退団などで団体経営がジリ貧になったので、従来のプロレスとは異なるエンタメ路線に振り切りました。自分たちで話題を作るしかなく、「もうこれしかない」と必要に迫られた感じです。

「大手と同じでは勝てない」 ベンチャー経営者の戦い方

マスクド:エンタメ路線に転向してからは、数多くの奇抜なアイデアを考えて実行しています。人形レスラーのヨシヒコ選手や、マムシにかまれて呪文が使えるようになったポイズンJULIE澤田選手など、異色の選手が誕生しました。

高木:ベンチャーが大手と同じことをやっても絶対に勝てませんから、隙間を狙わないと駄目でしょう。(新日本プロレスリングなどの)大手なら人材採用や育成もやりやすいでしょうが、僕らはそうじゃない。だから、DDTは大手では採用しないような学生プロレス経験者をスカウトしました。当時は学生プロレスを「プロレスのまねごと」と下に見る風潮がありましたが、彼らは人前での試合に慣れていて、下手なプロレスラーよりもきちんと練習していました。彼らが即戦力として入ってくれたのは大きかったです。団体も徐々に大きくなり、両国国技館などの大きな会場で試合ができるようになりました。

マスクド:プロレス団体の経営をするには、お客さんがどんな試合を求めているかを察知する力が求められると思います。IT業界でも、製品やサービス開発において、ユーザーの声を重視する傾向がありますが、経営者として意識していることはありますか。

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