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キワモノだったオンライン葬儀に需要の兆し 新型コロナで変わる“故人との別れ”(3/3 ページ)

» 2020年05月02日 07時00分 公開
[古田雄介ITmedia]
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オンラインは追悼の拠点として正当性を持つ

 真正面から向き合えば、オンラインサービスが故人を追悼したり弔ったりするのに値する道具だと実感するのは難しいことではないだろう。

 インターネット上には故人が残していったブログやSNS投稿が閲覧可能な状態で無数に存在している。完全に放置されたサイトや、2010年前後に流行したスパムコメントの餌食となって荒らされたまま捨て置かれているサイトもある。しかし、著名人が亡くなって10年以上たっても最後の日記のコメント欄に命日のたびにファンからの書き込みが付いたり、「Facebook」や「Instagram」で多くの友人に追悼されたりするケースも多い(故人のページが死後にどういう道筋をたどるのか。もっと詳しく知りたい人は、拙著『故人サイト』を読んでもらえたらと思う)。

 オンラインで残るものは非物体のデジタルデータでしかないけれど、残された投稿やアカウントには故人の思考や語彙(ごい)、生活の痕跡が多分に残されている。先日も、MMORPG「ファイナルファンタジーXIV」内で、新型コロナウイルス感染症により亡くなったプレーヤーを追悼する儀式が行われたが、ゲーム内のアバターやコミュニケーションの記録も、間違いなく本人の遺物だ。

 その遺物をよりしろとして、故人のことを思い出したり、仲間と語り合ったり、祈りをささげて自分なりに弔ったり。そうした営みはオンライン上で前世紀から行われてきた。ジョーク空間ではなく、ごく普通に真剣な空気の中でだ。

 オンライン葬儀のライブ映像は、故人その人が働きかけているわけではないけれど、その人を送る(弔う)本物の葬儀に属することは疑いようがない。参列者さえその気になれば、真剣に向き合うに足る儀式の空気は老若男女問わずに感じられるのではないだろうか。

 ただ、だからといってオンライン葬儀がリアルの葬儀に取って代わるかといったら、それは違うだろう。お別れをしたい気持ちがあって、それでもリアルでの参列が難しいときに、「オンラインでの葬儀参加」という選択肢がフラットに選べる、というのがちょうどいい位置付けだと思う。この辺りは、オンライン診療と対面診療の関係に似ているかもしれない。

 国内では参列者を制限したり、火葬を先行してお別れの儀式を後日実施したりするなど、さまざまな葬儀の“三密対策”が実施されている。そこで故人とのお別れまで我慢してしまうと、自分自身や、悲しみを共有したい遺族や友人も苦しませることになる。

 心の問題に三密は関係ない。追憶や哀悼、弔いなどは時を待たずにやれたほうがいい。同じく三密と無関係なオンライン葬儀はいま、合理的で現実味のある解になろう としている。

プロフィール

古田雄介

1977年名古屋生まれ。2004年からITmedia PC USERにて「古田雄介のアキバPickUP!」を連載中。2010年からデジタルと死生の関係性を追いかけている。2020年1月に「スマホの『中身』も遺品です」(中公新書ラクレ)を刊行。自サイトは古田雄介のサイト

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