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「やって来なかった未来」、サイバーパンクの魅力 「サイバーパンク2077」をプレイして考えたこと(2/2 ページ)

» 2020年12月17日 13時27分 公開
[西田宗千佳ITmedia]
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SNSが生み出した「日常コンテンツ」の流通

 情報を流す「パイプ」は大きく変わったが、コンテンツを作るところと流すパイプは分業が進みつつある。

 テレビが巨大であった時代には、製作とパイプが一体化すると思われていたのだが、「パイプに徹して、コンテンツは消費者が日常的に生み出す」方がコストメリットが大きいことが分かったからだ。映画やドラマ、アニメ、ゲームのようなコンテンツ産業は巨大化しているが、それは「特別なもの」だからであり、PCとスマートフォン以降の社会が見つけ出したのは、「特別なコンテンツの周囲に、日常的なコンテンツが多数あった」ということだ。井戸端会議をしたり、喫茶店でだべったりすることで生み出されていたものが、実はネットを介した形でも分散的に成立する、というのが現実だったわけだ。言うまでもなく、これがBBSを経てSNSになり、今に至る。

 プライバシーの考え方なども、この状況に影響されている部分が多い。社会の階層化・分断については、過去に「貴族社会」という実例があるので想像しやすいものではあるが、今起きている分断は、単純に「富めるものとそうでないもの」の分断ではない。

「身体がある」からこそITジャイアントはメガコープ化していない

 サイバーパンクでは、人の身体がもっと機械化し、飲食や情報の摂取の形が変わっている。人が生きるために必要なものの供給が、よりテクノロジーによってコントロールされている社会を描いている。そうした世界では、人が生きるために必要なものを供給する企業が、独禁法の枠組みを超えて巨大化し、国よりも上位の存在になっている。

 だが、現実は違う。情報伝播の形は大きく変わったが、人の生活に必要なものは20世紀以降、そこまで変わっていない。その流通は最適化されてきたが、われわれはコメや魚、肉、野菜を食べて生活しており、画面内の映像を見て楽しんでいる。食肉が多少人工肉に変わりつつあるが、極論すれば、大豆を食べるのか豆腐を食べるのか、という違いと大差ない。

 大型のIT企業は、情報にしか関われていない。広告の形や売れ方は変わったが、それだけだ。サイバーパンクはエンターテインメントであるが故に、「人間の身体への干渉」をイージーに扱ってきた。しかし実際には、その辺はなかなか難しい。自分の体を把握するため(主に健康目的で)センサーを使う人は増えたが、身体を拡張する目的で身体を拡張する技術はまだ未発達で、そこにひもづく産業も生まれていない。意外とこの辺は、「外部機器対応」は増えても「生死を分けるレベルでの埋め込み」は広がらないんじゃなかろうか。そうすると、人の生活を支えるのは結局食品産業でありエネルギー産業である、という時代が変わらずに続き、「サイバーパンク的メガコープ」の時代は来ない。

 ITジャイアントは国を超えた大きさになったが、国を抑える存在にはなれていない。結局、税制や雇用制度という、巨大な仕組みからは逃れられないからだ。SNSの発達による情報流通の変化は、思想や社会の分断・階層化につながっている。国家はその全てをヨシとはしておらず、結局現状、ITジャイアントは国家と衝突し、国家によって分断や規制される形が見えてきた。

 人間の活動がITだけに規定されない以上、現在のメガコープであるITジャイアントにできることは限られている。エンタメほど極端で面白い時代にはなっていないのはそのためだろう。

サイバーパンクの魅力は「ありえないタチの悪さ」にある

 サイバーパンクの世界では社会秩序の崩壊が起きていることが多いが、社会秩序が本当に崩壊した場合、ITを軸にしたテクノロジーは維持できない。半導体やバッテリーの製造、そしてそこから生まれるパーツの組み立てなど、「一人のエンジニアがいればできること」は少なく、多数の国と大きな企業の協調がないと実現できないことばかりだからだ。今ある機械を動かし続けることはできても、ネットワークを維持して進歩させ続けることは難しい。例えばスマートフォンは、数年は過去の機器からの共食いで生き続けられるが、バッテリーや半導体は、劣化によって確実にダメになっていく。ネットワークも、回線とクラウドインフラの維持には相応のテクノロジーと資産が必要になる。

photo 「サイバーパンク2077」には、サイバーパンクの代表作「JM」「マトリックス」で世界を救うキアヌ・リーブズが出演している

 ITと社会崩壊はびっくりするくらい相性が悪く、「世界が(ケンカしつつも)おおむね平和でないと簡単に崩壊する」のが今の社会である。コロナ禍でも何とかなっているのは、「人的被害がこのくらいで済んでいるから」であり、仮に劇的な症状であったならば、「ITが人々をつないで救う」のも困難になった可能性がある。

 別の言い方をすれば、「ITを巡る技術のコアな部分」が見えていなかった時代に描かれたエンターテインメントこそ、サイバーパンクだ。その本質は、西部劇や時代劇と変わりない。

 しかし、だからこそ、われわれはあの猥雑な世界に惹かれる。明らかに衛生状態の悪い社会で身体に複雑なメカを埋め込み、大量の広告が高解像度・高輝度ディスプレイに表示され続け、どこかから銃器が供給されている社会。そんな「ありえないタチの悪さ」に飛び込めるからこそ、われわれはサイバーパンクが好きでたまらないのである。

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