コロナ禍がもし20世紀に起こっていたら、社会はいったいどうなっただろうか。20世紀、すなわち西暦2000年以前である。日本においてインターネットの普及は1998年ごろというのが定説だが、当時インターネット上に存在したのはホームページとftpとメーリングリストであり、まだSNSは存在していない。
最速のニュースソースはテレビやラジオであり、詳細を知りたければ新聞や週刊誌を読むしかない。そんな中、外出禁止となり、テレワークが求められたとしたら、通信によるコミュニケーション手段を持たないわれわれは、その孤独に耐えられただろうか。
いや、おそらく手段がなければないで、それなりに上手くやっていくのかもしれない。かつてペストやチフスが大流行した際も、人類は滅びなかった。なるようにしかならないと受け入れるのも、人間の柔軟性の一つであろう。
80年代に強壮ドリンクのテレビCMで「24時間戦えますか」というコピーがあったが、本当に24時間働けるわけがない。実際には「24時間働いているフリ」なのだが、当時は携帯電話もなく、要件が24時間追いかけてくることがなかったから成立したキャッチコピーである。
それがケータイメールの時代となり、本当に24時間、常に何らかのコミュニケーションが動いている世の中になるまで、10年もかからなかった。
この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2020年12月28日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。
話は、個人的なことになる。
筆者が「パソコン通信」なるものを始めたのは、1990年だった。今の人の感覚だと通信しないパソコンって何だって話で笑っちゃうだろうが、当時パソコンとは、基本はスタンドアロンで使うものだったのである。
パソコン通信サービスで当時最も勢いがあったのはNIFTY-Serveで、そこは時間と空間を超えた一大カルチャーセンターの様相を呈していた。当時わざわざパソコンにモデムをくっつけて電話線で通信するなんてのは相当酔狂な人たちなので、いちいち話が濃いしめんどくさいのである。
そこで知り合った友人とは、インターネット時代になってもmixiで、今ではFacebookでと、プラットフォームを変えながらつながっている。学校の同級生は卒業したら関係は終わり。会社の同僚も会社を辞めたら終わりだ。だがパソコン通信で知り合った人たちは、ネット上でいつでもコミュニケーションできるので、関係が切れなかった。
こうした関係の特徴は、久しぶりに連絡しても、場合によっては何年かぶりに連絡してもお互い全然OKだということた。もともとパソコン通信とは、ほとんどの人は1日に1回しかアクセスしないので、会話も1日がかりとなる。
こうした気長な友人関係は、もう30年も続いてきたことになる。最近では仲間の入院や訃報も聴かれるようになってきた。気楽に始めた付き合いが、最初の妻よりも長い付き合いになるとは思いもよらなかった。
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