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HyperCardの思い出 ゲームスタック作家だったあの頃(3/3 ページ)

» 2021年03月19日 08時44分 公開
[小寺信良ITmedia]
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後の文化の礎となったHyperCard

 うにょ!2は無償だったので、多くの人にダウンロードされると共に、多くの「PDS本」に収録された。PDSとは、Public Domain Softwareの略で、要するにフリーウェアのことを米国に倣ってそう読んでいたのである。

 時はCD-ROM全盛の時代だったので、とにかく多くのPDSを収録するべし、と各出版社は躍起になった。そんな中、うにょ!2にも多くの出版社から声がかかったので、同時に多くの本を献本していただくこととなった。

 当時、NIFTY-Serveからダウンロードすれば無償ではあるのだが、通信費がかかる。また、海外のものはNIFTY-Serve経由で米国のCompuServeへ接続しなければならず、これにもまたべらぼうな接続料がかかった。そうしたPDSをダウンロードすることなく、書籍を買うまでもなく手に入るのは、大変ありがたかった。

 HyperCardによって培われたアニメーション文化は、のちのCD-ROMブームを支えたアニメーション制作ソフト「MacroMind Director」に引き継がれた。「Myst」といった大ヒット作も、最初のバージョンはHyperCardで作られたものだった。多くのCD-ROM作品は、アイデア的にも人脈的にもHyperCardの流れをくむものだった。

 そしてMacroMind Directorは、のちにMacromedia Directorと名を変え、Webページ上のアニメーション制作ツールとして長らく使われた。「動くホームページ」全盛時代を支えたが、最終的にはAdobeに買収され、2013年のVer. 12.0が最後になったようである。

 一方、スティーブ・ジョブズが経営から追い出された後に公開されたHyperCardは経営陣から次第に冷遇されていき、最終的には自分で作る機能のない「プレイヤー」がバンドルされるようになっていった。Macが「ないものを自分で作る」道具から、誰かが作ったアプリケーションをプレイする道具になっていった気がした。

 筆者自身も当時の仕事柄、興味がコンピュータグラフィックスへ移っていき、CGを作るにはコストがかかるMacからAmigaへプラットフォームを移していった段階で、HyperCardからは疎遠になっていった。その後、物書きへ転向して、「できるVAIO」なんかを書き始める頃には、すっかりWindowsユーザーになっていた。再びMacに戻ってきたのは、MacBook Airの第2世代辺りだから、2009年か2010年ごろのことだろう。

 2017年にはHyperCard誕生30周年を記念して、Internet Archiveにて、Webブラウザ上のエミュレータ内で多くのスタックが動作するようになった。残念ながらうにょ!2は収録されていないが、今もHyperCardの雰囲気は追体験できるようになっている。

photo 3638ものスタックがWebブラウザ上で動作する

 収録されているスタックを見ると、教育系のものがかなり多いようだ。当時の教育者が、なんとか教材として使おうと熱心に取り組んでいたのが分かる。ゲームもいくつかあるが、うにょ!2ほど凝ったものはなさそうだ。

 うにょ!2の開発には寝食を忘れて取り組んだような状態だったが、当時それだけMacとHyperCard周りのコミュニティーにはエネルギーがあった。ユーザーグループも強力だった。

 今そうした強いチームはYouTube辺りに集まっているのかもしれないが、どうしてもそこにはマネタイズという色が濃い。好きなことで稼ぐのは悪いことではないが、そうした仲間と20年も30年も友達でいられるだろうか。

 やはり当時の作り手同士の絆というのは、あの時にしか得ることができなかったものだったような気がする。

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