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「ピピン」とは何だったのか バンダイとAppleの黒歴史として失笑するだけでいいのか?(2/4 ページ)

» 2021年03月31日 12時25分 公開
[納富廉邦ITmedia]

誰もが簡単に使えるCD-ROMプレイヤーが必要だった

 それは、当時のマルチメディアタイトルの注目度やCD-ROMソフトの売り上げによって、Apple自身も誰もが簡単に使えるCD-ROMプレイヤーの必要性を感じていたということだ。

 つまりピピンは、パソコンほどのハードルの高さや価格では二の足を踏む人たちや、ゲームではないデジタルメディアに触れたい人などが、最初に買うMacintoshとしてのハードウェアだった。インターネットやパソコン通信などのネットワークや、CD-ROMなどをゲーム機なみの気軽さで扱えるハードがあれば、その分野を独立したマーケットにすることもできるという発想の製品だった。そして、販売はバンダイ、設計と開発はAppleが行うという形でプロジェクトがスタートする。

 その後の打ち合わせでは、ゲームプレイヤーを作りたいと考えるAppleと、“My First Mac”という思想をあくまでも貫こうとする鵜之澤氏のチームが対立する。

ゲームプレイヤーだったらサターンもあるしプレイステーションもあるわけで、それを今さらバンダイでやる気はありませんでした。僕らがやりたいのはテレビにつなぐ、第三世代のコンピュータ。メインフレームがあって、PCがあって。その次の家庭に入る本当のパーソナルコンピュータとはこういうカタチですよ、というAppleからの提案をしたかったんです

 その鵜之澤氏の考えは、当時、富士通の「FM TOWNSマーティー」を始め、多くのメーカーがさまざまな形で実現しようとしていた「リビングに置くパソコン」だ。ピピン失敗後も、何度となく試みられてきた、この課題は実現しないまま、スマートフォンという“誰もが使えるハンドヘルドコンピュータ”の登場とともに消えた。

 ピピンはそうした失敗の先駆けであり、その意味では、現在のスマートフォン社会の先駆けでもあった。まさか、リビングに置くパソコンが、携帯電話の延長で実現するとは誰も思っていなかったのだ。しかし、インターネットとパソコン的な機能が、リビングでの利用に向くはずだという発想自体は間違っていなかった。ただ、技術的にも、インフラ的にも、世間の意識的にも、とにかく早すぎただけで。

 それでも、PowerPC 603プロセッサを積んだロジックボードは当時最新のPower Macと何ら変わりはなく、インタフェースにしても、PCIスロット、2つのシリアルポート(その内1つは高速なGeoPort)、VGA、S-Video、コンポジットの3つのビデオ出力、ステレオ音声出力、2つのADBポートを備え、さらにメモリ拡張スロット、4倍速のCD-ROMドライブという、内部的にはMacintoshそのもののスペックはPower Macintosh 6100/66に相当する機能で、当時として決して悪くなかった。

 だからこそ、ゲーム機としては使えないけれど安価なMacとしてなら評価できるという意見が発売当時は多かった。プリンタも、キーボードも、コントローラーも、ソフトも、本体以外の全てが、後にMacintoshを購入した際に使い回せるのだ。まさに“My First Mac”である。忘れている人も多いと思うけれど、ピピン用のコントローラーが後にMacにつなげられるようになったとき、コントローラーは本当に売れたのだ。Macで十字キー操作によるゲームができるようになった瞬間である。

photo 中央にトラックボールを備えたピピン用コントローラー「Apple Jack」は、ADBバス変換コネクターを使えばMacのゲームコントローラーとなった
photo マキエンタープライズ「PEACE」というピピンソフトを使うと、フロッピードライブやLAN上のMacからアプリやドキュメントを起動でき、HyperCardまで再生可能だった

将来の夢みたいなものが、特に日本のマーケットには必要だと思うんです。アップグレードとか、スピードさえ気にしなければ、今の最新のOSがColor Classic 2ぐらいでも使えるとか。そういう部分がMacintoshがもともと持っている、Macintoshを買う時の魅力だと思うんです。それを残しておきたかったんです。最初にピピンを買ってテレビにつないでも、いくらテレビはきれいになったとはいえ、60cmの距離でテレビを見たら目が悪くなりますから、60cmの距離に置けるモニターを欲しくなる。そんな時には、安いVGAのモニターを買ってくればデジタルの映像が見られるわけですよね。キーボードが欲しければ、キーボードをつなげてとかね。そういう機能が欲しかったんですよ

 この鵜之澤氏の言葉は、夢を語るのと同時に、なぜ売れなかったかの要因まで含んでいる。それがピピンの悲劇そのもののように思える。テレビにつなぐパソコンが成功しなかったのは、当時のブラウン管のNTSCの規格がVGAの640×480ピクセルにさえ届いていなかったことが大きい。その解像度では漢字なんて読めないのだ。

 つまり、インターネットなんてとてもじゃないけど使えない。今の、高解像度になった液晶テレビでさえ、パソコンのモニターやスマートフォンの画面に比べると、文字は読みにくいし、60cmの距離で見るのはツライのだ。もし、ピピンがテレビにつなぐことを諦めて、自前でモニターを持つ、一体型パソコンのスタイルを採っていたら、あるいは違った未来があったのかもしれないけれど、それは単に、Color Classicじゃないか、という気もする(とはいえ、もしもColor ClassicのようなデザインのPowerPCマシンがピピンの価格で発売されていたら、ものすごく売れたかもしれないとは思う。そのくらい当時のMacは高価だったから。

 そしてもう一つ、イージープレイにこだわった結果として、CD-ROMを入れて起動するというオペレーションを採用したのも、いくらメモリが高価だったとはいえ、未来のマシンとしては悲しい仕様だった。起動時の動作や、ソフト単位で異なる機能拡張書類が必要だったことなどの、Macがパソコンだったからこそ抱え込んでいた面倒くささを解消するためだったのだけれど、そんな事情以前に、起動が遅いのは致命的だったのだ。それもまた、ピピンというよりパソコンや当時のネットワーク事情が抱えている問題なのだが。

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