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» 2021年05月28日 09時38分 公開

ライターの生存戦略 コデラはいかにしてニッチに立ち続けているのか(1/2 ページ)

小寺信良さんのライターとしてのニッチの見出し方。役に立つか立たないか……。

[小寺信良,ITmedia]

 以前Clubhouseのイベントに呼ばれて、ライターの生き残り戦略みたいなことを話してくれと言われたことがある。Webライティングの仕事は多少の増減を繰り返しつつも、トータルとしては増え続けていると思うのだが、それ以上にライター志望の人が増えており、供給過多になりつつあるようだ。

 そんな中、多くのライターが生き残り策を探しており、参考になる話を、ということだったのだが、コデラは正直、無戦略でここまで来ており、狙いました、成功しました、みたいな話は何も持ってないので、聴いてる人たちにはまことに気の毒であった。

 先日はドリキンさんのbackspace.fmに出演させてもらい、超ベテラン、みたいな紹介をされたのだが、それもなんとなくむず痒い思いだった。実はコデラは途中転職組なので、ライター歴は20年ぐらいしかない。年下の西田(宗千佳)さんの方が、よっぽどライター歴は長いんである。

 そんな自分がここまでライターとして生き残れた理由を懸命に考えてみたのだが、要するに「持ってるカード」を無駄にしないで出してきた、ということに尽きるのではないか。

 世の中には、「ニッチ」という言葉がある。少数の尖(とが)ったニーズを捉えることを指すイメージだが、もともとは教会のような石造りの建造物の壁に施される、くぼみのことである。日本語では壁龕(へきがん)という。このくぼみにキリスト像などが据えられるのだが、要するに誰も立ってないくぼみ、という意味だ。

 コデラが今日あるのは、誰も立っていないニッチを見つけて、そこに立つことができたから、に他ならない。今日はそんな話をしてみたい。

この記事について

この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年5月24日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。さらにコンテンツを追加したnote版『小寺・西田のコラムビュッフェ』(月額980円・税込)もスタート。

「放送技術者」というカード

 20歳で技術系専門学校を卒業し、東北新社グループのポストプロダクションにテレビ技術者として就職した。そこでは編集技術を覚えるだけでなく、大規模な改修工事も経験したので、システム構築みたいなことも覚えることができた。大規模ポストプロダクションは、アンテナを立てれば放送局になれるぐらいの設備規模があるのだ。

 そこを辞めたのち、渋谷のNHK本局の報道へ編集者として出向することになるわけだが、そこで実際の放送局の中のシステムと、放送の送出技術を学べた。

 1990年に入る頃、ポストプロダクションの世界はフルデジタルの波が押し寄せ、新規のポスプロでシステムの立ち上げから参加できたのも大きかった。セットアップされたシステムを使って編集ができるだけでなく、システムをゼロから作っていく知見が得られたのは、後に独立したときに大きな自信となった。

 合計12年のポスプロ勤務から、32歳でフリーランスとなり、つてをたどっていろんなポスプロへ出入りするようになった。それが1993年ごろだろう。人が足りない編集室の助っ人で働いたり、CGアーティストと仲良くなって、自分でもCGを作るようになっていった。Amigaからコマンドを出して、デジタルVTRにコマ撮りさせていくシステムを構築するとか、アーティストとエンジニアの中間で変なことをいろいろやってきた。

 そうこうしているうちに、DVカメラが出てきて、コンシューマーもデジタル化していった。1998年ごろ、PCにIEEE 1394インタフェースカードを入れてデジタル取り込みができるようになると、自分でタワー型PCを組んで、オリジナルの編集システムを作った。当時ケーブルテレビ局や衛星放送局はDVCAMやDVCPROといったDV系のシステムが導入されていたことから、自宅で番組編集の仕事を請け負うようになっていった。

 当時コンシューマー機であるDVとPCを使ってプロの仕事をする人は、ほとんどいなかった。そんな「一人ポスプロ」は、相当珍しかったと思う。なぜそんなことができたかというと、大規模ポスプロ構築の経験から、プロの品質を保つためにはどこを押さえればいいのかのノウハウがあったからである。中古ながら業務用モニターや波形モニターなどもそろえて、信号管理をきっちり行っていたので、どこからもクレームが来ることはなかった。

 ちょうどその頃、ソニーのVAIOにDV取り込み機能が付き、コンシューマーでも動画編集をパソコンでやろうという機運が盛り上がった。だが当時PC系ライターの人たちは、動画なんか撮影したこともなければ、ましてや編集などしたこともなかった。ノウハウを誰も知らないし、本が書けない。

photo VAIOはi.Link(IEEE 1394、FireWire)でDV取り込み・編集が可能だった

 そこで当時パソコン通信であるNIFTY-Serveのグラフィックスフォーラムの中で、ほとんど一人でパソコンによる動画編集の話をしていたコデラに白羽の矢が立ったわけである。

 当時知り合いに頼まれて、パソコン雑誌のレビューコーナーに、半ページぐらいの囲みでプリンタやスキャナーの記事を埋める程度の副業ライターのようなことはしていたのだが、インプレスやMdNから出される海外のビデオ編集本の翻訳監修を依頼されるようになった。

 当時日本の出版業界には、コンピュータとビデオの関係が書ける人がいないばかりか、映像信号周りについて、翻訳が正しいかをチェックできる人もいなかったのである。

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