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ライターの生存戦略 コデラはいかにしてニッチに立ち続けているのか(2/2 ページ)

» 2021年05月28日 09時38分 公開
[小寺信良ITmedia]
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次々と「カード」を手に入れる

 「パソコンでビデオ編集」はいくつか書籍を出したが、当時はまるでモノにならなかった。しょせん撮るのは子どもの運動会程度であり、編集するまでもなかったのである。

 しかし2000年辺りから、パソコンでテレビを録画してDVDに焼く、というブームが起こった。録画番組からCMをカットしてエンコードするなんてのは、ビデオ編集そのものである。

 当時光ディスクを焼くことはPC系ライターでも書けたが、動画の編集が誰にも分からないので、当時「ビデオが分かるパソコンライター」のカードを持っていたコデラがまた引っ張り出されたわけである。

 そんなことからDVDライティングブームに巻き込まれ、本も共著でたくさん書くことになった。その流れから後にインプレスの「できるシリーズ」の一貫として、「できるVAIO」を何年も書くことになった。

photo 「できるVAIO 活用編」

 インプレスのAV Watchで連載を持つようになったのは、たまたまDVD系の書籍の打ち合わせに編集部に行ったときに、通路を挟んで反対側の席がAV Watch編集部だったからだ。当時の編集長に紹介されて話しているうちに、じゃあ連載やりましょうということがその場で決まった。「ギャラは安いけど毎日タダで新製品が試せるから、それは財産になるはず」と言われたのを今でも覚えている。

 そんな軽い話でスタートしたのだが、気がついてみれば映像編集の仕事より、ライター業の方が収入が多くなっていった。じゃあ専業ライターに転向するか、ということになったのが、35歳ぐらいである。

 インプレスのつながりで津田大介と知り合いになったのは、2005年ごろのことだった。当初は締切を守れないライターとして紹介されたのだが、彼が音楽ライターとして文化庁の補償金問題を扱う委員に抜てきされた頃から、一緒に消費者団体を作ろうという話になった。それが2008年に発足した、今のインターネットユーザー協会である。

 団体の代表理事として活動スタンスが明確になると、中立ではなくなる。ジャーナリストとは名乗り難くなったことから、その頃からコラムニストやライターと名乗るようになった。

 また子供のネット利用を規制する法案に反対する立場から、ネット教育に深入りすることになった。「消費者団体の代表理事」というカードに加え、個人でも「ネット教育家」という新たなカードを手に入れることとなった。

 東日本大震災を経験して少したった2012年ごろ、結婚生活が破綻し、小学2年生の下の娘と父子家庭で暮らすことになった。子どもに母親がいないというハンディキャップを感じさせないよう、子ども会やPTAなどの活動にも熱心に顔を出した。そこで「男目線の家事評論家」「シングルファーザー」というカードを手に入れた。

 物書きであることを生かしてPTAでは広報委員会の委員長となり、広報誌の在り方を改革した。そうして「PTA評論家」というカードを手に入れた。

 PTAでは、シングルマザー予備軍(離婚調停中)であった今の妻と知り合い、離婚成立後の2017年に再婚することとなった。こうして「PTAを出会い系として使った男」のカードを手に入れた。このカードはあんまり使いみちがなかった。

 2019年に縁あって故郷の宮崎に帰ることになった。当時新型コロナウイルスはなく、家業を継ぐということでのUターンだったのだが、コロナ禍が起こり、その計画は頓挫した。

 失意の中、身動きが取れないまま宮崎でライター業に復帰するしか術(すべ)がなくなったが、運良く世の中は東京から離れて東京の仕事をすることが特殊なことではなくなった。こうして今度は、「テレワーク時代のUターン者」というカードを手に入れた。本当は違うのだが。

 現在はこうした手にしたカードを順繰りに出したり組み合わせたりして、物書きの仕事をしている。つらい出来事も多かったが、転んでもタダでは起き上がらない、必ず仕事に落としこむということを心掛けてきた。

 つまり生き残り策としては、事前に計画して実行するのではなく、コトが起こっちゃってから後始末をしてきただけなのである。物書きという仕事は、経験をコンテンツ化することができる商売なので、挫折もネタになるというだけの話だ。

 こうした生き方はある意味、自虐的ではあるが、失ったものと同じぐらいの量、得るものもあった。そう考えると、人間の幸・不幸の総量は常に一定なんじゃないかという気がする。

 人は大きな幸せがずっと続くことを夢見る生き物だが、実際にそうならなかったからといって、うまくいかない人生ということではない。明日のこと、来月のこと、来年のことを心配しながら、誰も襲ってこない小さなくぼみを見つけて立っていられれば、それで御の字なのではなかろうか。

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