平井氏は「3つのターンアラウンド」を成功させたことで評価されている。そのことは彼の著作でも明確だ。
1つは、ソニー・コンピュータエンタテインメント・アメリカ(SCEA、現SIEA)の業績回復。今でこそ米国はゲームの本流といえる市場になっているが、PlayStationが立ち上がった1994年前後は、そうともいえなかった。市場ポテンシャルは圧倒的に大きいものの、生かせていなかった。ソニーにとっての米国ゲーム市場をまとめ上げて確固たるものにしたのが、平井氏の経営者としての最初の功績だ。
そして次がソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、現SIE)の立て直し。高コスト構造でメッセージもブレていたPlayStation 3事業を、コンペティティブなものにして、再びソニーの収益源まで持ち上げたことだ。
もちろん最後はソニー自体のターンアラウンド。巨額の赤字を抱えていた本社事業を立て直し、継続的収益が積み上がっていく体質へと変化させたのが、最大の功績である。
この3つをみると「赤字を立て直すためにコストカットして体質改善を実現した建て直し屋」に見えてくるが、それはちょっと違う。確かに「切るべき部分を切る」のが彼の決断の一つだったが、そこだけで評価すべきではない。
なぜなら、出血を止めた後、どの事業も伸ばすことに成功しているからだ。別の言い方をすれば、「伸ばすための種を育てていく」ことに腐心したのが平井流、といってもいい。
平井氏から筆者が聞き、強く印象に残っている言葉と、本書で語られた言葉は同じだった。
「売れてくれれば最高。台数的にも、商業的にも。まずその前に、ユニークな商品を、リスクをとって『出していい』ということ、そして『出すことが評価につながる』ということも言い続けている」
「レコード会社が新人を10組出したら、当たるのは2組。そんな、全部当てるような百戦錬磨のプロデューサーなんていない。だからチャレンジすべきだ」
この2つは、平井氏の経営姿勢を明確に示している。
成功の種は社内にある。だが、どの種が大きく育つかは分からないし、途中でうまくいかなくなることもある。
だから、ソニーのような企業にとっては「種を増やし、芽が出る量も増やす」ことが重要。赤字=出血を止めるのは育てられる土壌を回復するためであり、単純な縮小均衡に陥ってはならない。
このプライオリティーを明確に定めて、そのための決断を下していくことが平井氏の経営理念だった。そして、芽や種の側にも「なぜ必要なのか」「どうしてうまくいかないのか」の説明責任を求めた。それは責めているのではなく、次につなげる土壌を肥沃にするための行為でもあった。
ちょっと印象に残っている話がある。
平井氏がソニーの社長になって何が変わったか? ということを聞いた時に、こんな話が出たことがあった。
「机の周りが汚くなった」
一見悪いことに思えるがそうではない。エンジニアや企画者の周囲にいろいろな開発事物が転がっていることを「許す」ことで、社員同士のコミュニケーションや新しい発想が生まれやすくなった……というのだ。
それまでは、パーティションで区切られ、秩序だった美しさを求められ、結果として業務からずれた話で盛り上がって発想が生まれることは少なかったという。多産多死・試行錯誤を許すのは余裕があるからであり、発想は混沌から生まれるから、納得できる話だ。
まあ、ちょっと美しすぎるエピソードなので話半分に聞いておくべきかとは思うのだが。
平井氏はクリエイターではない。技術者でもない。スティーブ・ジョブズや久夛良木氏のようなハイパーディレクターでもない。それはご自身が一番よく分かっているだろう。
だが、世の中に優れた人材は多数いる。歴史に残るレベルでないとしても、常人には感服するしかない才能の持ち主は多数いる。
彼らがチャレンジできる場をプロデュースすることが、平井氏の経営理念だった、と筆者は考えている。社長になってから各所の若手社員とのミーティングを繰り返しているが、それも才能ある人々を「やっていい」とたき付けるためのものだった。
平井氏はキャリアをソニー・ミュージックからスタートした。天才的な才能を持つ人々と触れ合うことは多かったはずだ。そして、ソニーには素晴らしいエンジニアやデザイナーが集まる。彼らが萎縮せずに働けるだけの収益を生み出し、チャレンジしやすくすることが平井氏のマネジメントの根幹なのだ。
こうした発想は、平井氏にとってソニー・ミュージックとSCE時代の上司である丸山茂雄氏の影響ではないか、と感じる。本書の中でも、丸山氏との関係は多数描かれており、平井氏もそのことを相当意識しているのではないだろうか。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR