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人はなぜ“言わなくてもいいこと”を言ってしまうのか 「日本人の国民性調査」からネット炎上が止まらない背景を探る小寺信良のIT大作戦(2/3 ページ)

» 2021年08月17日 11時12分 公開
[小寺信良ITmedia]

「正しい」とは何か

 今ネットを探せば、過去の行為や発言は何らかの形で記録や痕跡が見つかる。これはさかのぼって何でも調べることができる「透明な時代」だといえるのではないか。

 その昔、一般個人が表現手段やコミュニケーション手段を持たなかった頃は、どこで誰かが何かを言ったというのは、うわさ話でしかなかった。話の根拠を探しても見つからず、誰もメモや録音を残していない、「そういう話だったそうな」以上のことが分からなかった時代があった。「不透明な時代」である。

 統計数理研究所は「日本人の国民性調査」を継続実施している。1953年以来、執拗に同じ質問を繰り返しているという、非常に価値の高い調査である。

 調査項目の中に、「あなたは、自分が正しいと思えば世のしきたりに反しても、それを押し通すべきだと思いますか、それとも世間のしきたりに、従った方が間違いないと思いますか?」という設問がある。

photo 「しきたりに従うか」年別調査

 「自分が正しいと思ったことを押し通すべき」と答えた人が主流だったのは、調査開始の1953年から1973年まで。ちょうど日本の高度経済成長期と重なる。

 不確かな時代では、正しさを示すデータが見つからないか、そもそも何が正しいのかも曖昧であった。何も先が見通せない不透明な中、少ない根拠を元に、それぞれが勘を働かせて正しいと思われる方向に進んでいくしかなかった時代である。自分が正しいと思うことを表明し、その通りに行動する人は、先見の明があるリーダーとして尊重された。もちろん失敗例もたくさんあっただろうが、自分には見えない何かが見えている人が輝いていた時代といえるだろう。

 続く10年、1988年までは、「世間のしきたりに従った方が間違いない」とする人が多数を占めた。その当時のしきたりとは何かといえば、高度経済成長期の混沌の中で培われたセオリーである。つまり新しいことを始めるよりも、成功体験をトレースした方が得だった時代だ。

 この時代、正しいことを言うのは容易だった。勝者がたくさんいて、勝者の論理が正しいものとなる。その人の言うことを鵜呑(うの)みにしていればよかったからだ。

 しかしこの傾向は、1993年以降から2003年の10年間、また変化を見せる。「場合による」が多数を占め始めるようになったのだ。ちょうどバブル経済が崩壊し、長い経済低迷期に突入した時期と重なるのは興味深い。再び、何が正しいか見えなくなった時代ともいえる。

 いや、「圧倒的な勝者の正しさが通用しなくなった時代」といえるのかもしれない。かつての勝者も分が悪くなり、拮抗する勢力があれば勝てそうな方に乗る。そういう時代である。

 ネットの世界を振り返ってみると、この時期パソコン通信が行き詰まりを見せ、1995年のWindows 95、1998年のWindows 98登場を契機にインターネットが普及し始めた。2ちゃんねるをはじめとする匿名掲示板が隆盛を極め、良いこともたくさん起こったが、同時に悪いことも多かった時代である。

 そして特徴的だったのは、正しいことが必ずしも支持されなくなったことだ。逆にいえば、倫理的に問題のある意見が支持され、大きな共感を呼ぶこともあった。あらゆる表現が噴出し、試された時代でもある。

 その中で多くの人たちが「場合による」という態度でいたことは、自分の身を守るために必要な処世術であった。

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