その後Appleは、「PCともMacとも違うアーキテクチャで、より日常的に使うコンピュータ」をヒットさせる。現在のスマートフォンとタブレットであり、その起点となったのはiPhoneだ。
iPhoneは世界初のスマートフォン「ではない」。同時に、iPadも世界初のタブレット「ではない」。だが、消費者が快適に思う要素はなにか、魅力的だと思う要素はなにかを考え、すでにある携帯電話やPC/Macの事情にあまりとらわれずに開発したことで、世の中に「こういうものが次の電話である」「こういうものが家庭に入るコンピュータである」という印象を植え付けた。そこには、ジョブズの強いリーダーシップが必要だったことは疑いない。
一方、2007年にスタートした時のiPhoneは、まだそこまで強気で大量に販売する想定でなかったのも間違いない。Appleとして、携帯電話市場で「一桁のシェア」を目標にしていたくらいなのだ。
ただ、2008年販売国を拡大した「iPhone 3G」が登場し、ソフトバンクが使った「通信契約によって端末価格を割り引く」という販売モデルのヒットもあって、比較的高価なiPhoneを多数売るモデルが広がった結果、急速に市場が拡大した。
AppleによるiPhoneの作り方が大きく変わったのは、2010年6月に登場した「iPhone 4」からである。ここからAppleは、自社開発半導体である「Aシリーズ」を採用し、ディスプレイも一気に高解像度な「Retinaディスプレイ」に変わった。どちらも大量生産・大量販売を前提にしないと作れない。最初のAシリーズは、同年1月に発表された「A4」で、iPhone 4に採用されたのもこれだ。
ちょっと面白い話がある。
ある人物が企業買収に伴いAppleに入る。そこからAppleの「自社半導体開発」は加速した。2010年に採用された「A4」、2011年に採用された「A5」の開発は彼が担当し、今に至る体制が出来上がる。
その人物の名はジム・ケラー。AMDでAthlonの開発に携わり、64ビットアーキテクチャである「x86-64」を生み出し、Appleを退社したのちに再びAMDに戻り、今のAMDの強さの一端を担う「Zen」アーキテクチャを作った。
そして、ジム・ケラーがAppleに入ったのが2008年である。初代iPhoneの反響を受け、「iPhoneが圧倒的な数売れる製品になっていくとしたらどうか。兄弟プロダクトとしてiPadが売れていくとしたらどうか」という戦略をたてはじめた頃だろうと推測できる。半導体開発には時間がかかるし、ディスプレイなどで特別な部材の大量発注を伴う関係を供給元と築き上げるにも、同様に時間がかかる。2007年に検討が始まり、2008年に人員・体制が整って2010年の製品をターゲットとする……とすればタイミングも合う。
そしてここからAppleは、一気に「iPhoneを軸とした企業」になっていく。年間2億台を超える台数を生産することを前提に機能を決め、パーツの能力や生産数、調達企業との強い関係を構築していく。一方この頃から、ジョブズの病状は悪化し始めている。Appleは本格的にクック体制へ移行し、ジョブズの薫陶を受けたチームが「Appleというエコシステム」を運営する時代に入っていった。
ジョブズが存命だった時代より、Appleは大きな会社になった。それはとりもなおさず、iPhoneが安定的に「億の数を売る製品」となったからだ。Appleが今の強みを維持できるのは、iPhoneの数があるからである。「数」を武器に生産ラインを押さえ、部材の在庫も優先確保していくことで、半導体不足が深刻な昨今でも、他社よりは優位な状況を保っているし、億の数を作るから最先端で高性能なプロセッサを搭載できるし、プラットフォームとしての強みも確保できる。ソフトウェアを1社で作り込めるのも、多数の製品で長く使い続けることを前提に、人員とコスト配分が可能であるからに他ならない。
一方で、ディスプレイパネルなどでは「満足できる品質のものを億の数調達できない」から、スペックでは他社に先行されたりもする。調達先に対する強い締め付けが問題視されることもある。ジョブズの時代だって失敗や課題は多数あったし、どんな経営者だって全てが全てプラスというわけにはいかない。
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