Coinhive裁判が1月20日に幕を閉じた。結果は二審の判決を覆し無罪。発端は被告人となったWebデザイナーのモロさんだったが、本件はWebエンジニアを始め多くのIT業界人にとってその行く末から目を離せない社会的意義の大きい裁判になった。
そんな裁判を無罪に導いたのが電羊法律事務所の平野敬弁護士だ。平野弁護士は1月31日に日本ハッカー協会が開催したイベントで、Coinhive事件発生当初から無罪を勝ち取るまでの“ドラマ”を語ってくれた。
Coinhive事件は、Webデザイナーであるモロさんが自身のWebサイトに暗号通貨のマイニングプログラム「Coinhive」を設置するところから始まる。Coinhiveは、サイトの運営者が、サイト閲覧者のPCのCPUに暗号通貨を採掘させ、その収益を受け取る仕組みだ。
2017年9月、モロさんは広告を使わないWebサイトの収益化方法を探る中で自身のWebサイトにCoinhiveを設置。1000円未満の収益を上げた。実験は1カ月程度で終了し、Coinhiveは撤去された。
しかし18年2月、モロさんの元に神奈川県警から連絡があり、突然の家宅捜索が始まった。3月に検察庁で取り調べを受けた結果、不正指令電磁的記録保管罪に問われ、罰金10万円の略式起訴を受けた。
平野弁護士の元にモロさんから相談があったのは略式起訴の翌日。「ウイルス罪について相談させていただきたい」という旨のメールが届いた。
当時の平野弁護士は、不正指令電磁的記録に関する罪についてあまり知らなかったという。
「正直、不正指令電磁的記録に関する罪ってろくに知らなかったんですね。相談メールが来て慌てて六法を引いて、ああそんな罪があったのかと。司法試験を勉強しているときにはろくに出てこなかったなぁと」(平野弁護士)
平野弁護士は刑法の本で勉強して理解し、法律相談に挑んだ。そのときに感じたのは「これ、争うのかな」という疑問だった。
略式起訴で10万円の罰金刑を言い渡されたのなら、弁護士を付けて争ってもデメリットの方が大きい。弁護士費用もかかるし、メディアに名前や顔が出るリスクもある。実際わざわざ法廷で争わず、ただ罰金を払う人も多い。
しかしモロさんは違った。「自分には責任がある。Coinhiveを紹介する記事を書いてしまった。(それを見た)他の人に対しても責任があると思う。Coinhiveが完全に“クロ”なのであれば罪を認めるが、争う価値があるなら他の人のためにも戦いたい」とのことだった。
それを聞いた平野弁護士は「なるほど、正式裁判で争おうか」と判断。4月2日に横浜簡易裁判所に対し正式裁判を請求した。
第一審の舞台は簡易裁判所ではなく、横浜地方裁判所になった。簡易裁判所で扱うには難しすぎるという判断だ。5月2日には「合議体」で審理することが決まった。
通常、地裁の刑事法廷は1人の裁判官が担当する。3人の裁判官からなる合議体で審議すると聞いて、平野弁護士は「裁判所としても本気でやるつもりなんだな」と驚くとともに、ますます決意を固くした。
5月から19年1月にかけては、7回の公判前整理手続が行われた。裁判を開く前に論点の整理を行う打ち合わせだ。
ここで平野弁護士は、JavaScriptやプログラムなどの技術について裁判官や検察官に説明し、争点の明確化を図った。
「もし、Coinhiveそのものが違法なら、広告やJavaScript全体が違法になるのではないか――そういう話をインプットしていきました」(平野弁護士)
この頃、平野弁護士は情報セキュリティの専門家である高木浩光さんに相談した他、SNSなどで外部に情報を発信し始めた。メディアなども反応し、本件の社会的注目度も日に日に増していった。
平野弁護士は「今となっては懐かしい」と、ある領収書を見せた。19年1月15日に、タクシー代として1万6820円を支払ったものだ。
同日の証人尋問には高木さんを呼んでいた。しかし当日、高木さんは体調不良で出廷が危ぶまれた。「高木先生の助力無くしては絶対に勝てない裁判」と思っていた平野さんは「自宅からタクシーを飛ばして来てください」と懇願。どうにか出廷に間に合ったという。
高木さんの証人尋問のおかげもあって、横浜地裁の第一審判決は無罪だった。
当時、平野弁護士の父親は病床に伏していた。キャリア面で折り合いが付かず仲たがいしていた2人だが、この判決については「息子も成果を出してくれたんだ」と病床から見て喜んでくれていたという。判決の3日後、父は息を引き取った。
一方、検察側は自信を持って臨んだ裁判で無罪判決が出てしまったため控訴。10月から東京高等裁判所で、公判と打ち合わせが始まった。結果は逆転有罪判決となった。
平野弁護士は、ここで黒川弘務検事長の定年延長問題を振り返る。当時、検察庁の検事長を務めていた黒川氏は定年を延長するか否かの問題に揺れていた。Coinhive事件はここにも少し巻き込まれたという。
黒川検事長の定年を延長すべきであるとする材料の一つに「複雑困難事件10選」が挙がっていた。解決困難な事件があるため定年を延長する必要があるという論で、Coinhive裁判もこの一つに選ばれていた。
20年2月に有罪判決が出たあと、平野弁護士は2月18日に上告申立書を提出。上告趣意書の提出期限は6月15日に決まった。
しかし、平野弁護士の手は止まってしまった。
「高裁で有罪判決を受けた後、やるべきことが思い付かない、思い付いても実行に移せないという状態が続きました。PCに向かっても全然手が動かないんですよ。有罪判決を受けた後、帰りの電車の中でドアを殴って手をけがするくらい怒っていたんですが、怒りが作業につながらなかったんですね」
そんな平野弁護士を支えたのは、弁護士と一般の技術者だった。
2003年に起きたWinny事件で担当弁護士を務めた壇俊光弁護士は、Coinhive事件について法律学者などから意見書を集めた。電羊法律事務所の笠木貴裕弁護士は、手の止まった平野弁護士の代わりに上告趣意書のドラフトを作成。電羊法律事務所の共同設立者である高井雅秀弁護士は事務作業の取りまとめなどで平野弁護士をサポートした。日本ハッカー協会は資金援助や一般技術者からの意見集めなどを行った。
これらの援軍の力を借りて、上告趣意書は無事完成。平野弁護士は意見書と上告趣意書を永田町に持ち込んだ。
こうしていよいよ最高裁判所第一小法廷での上告審が始まった。
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