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「侮辱罪厳罰化」で、誹謗中傷に変化はあるか小寺信良のIT大作戦(2/2 ページ)

» 2022年06月20日 10時13分 公開
[小寺信良ITmedia]
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進む法整備

 侮辱罪が厳罰化されたことで、ネットの誹謗中傷に変化があるだろうか。従来の軽犯罪法違反同等と違い、1年未満とはいえ懲役・禁固刑が加わることは大きい。勤務していればおそらく辞職せざるを得ないし、出所後の再就職はハードルが上がるだろう。多くの人には十分すぎるダメージがあるはずだ。だがもともとニートであったり、不労収入がある、財産があり働かなくてよいといった相手にはほとんどダメージがない。

 一方民事訴訟では、木村花さんの訴訟でも294万円の請求に対し、判決では129万2000円が妥当として減額された。これでは情報開示請求から訴訟に至るまでの費用を考えれば、ほとんど残らないだろう。相手方は名前も顔も出さず判決を丸呑みして逃げ切り、という手段が残されていることになる。たとえ民事で損害賠償請求しても、これが果たして抑止力になり得るのか、疑問が残るところである。

 刑法改正だけでは、誹謗中傷に対する抑止力は弱いかもしれないが、他の法改正も絡めて対策が進み始めている。これまでSNS等に対する情報公開請求の手続きにはステップが多く、時間もかかっていた。そこで「プロバイダー責任制限法」が改正され、新たに「発信者情報の開示命令」、「提供命令」、「(ログイン情報の)消去禁止命令」などが創設された。バランスを取るために「発信者情報の開示命令に対する異議の訴え」も創設され、そこは裁判所の裁量が拡がったことにはなる。早ければ2022年10月に施行される見込みである。

 しかし振り返ってみれば、多くの誹謗中傷事件が起こっているのは、Twitter上である。今や日本人にとってTwitterは、気軽に誹謗中傷できるプラットフォーム化したといえるのではないか。法的には、1社狙い撃ちしてしまうと汎用性がなくなるため、あらゆるSNS事業者に対して網をかけなければならないが、それではどうしても個別具体的な施策にはならない。

 日本の法律は、基本的には「属地主義」で適用される。これは日本の法律は日本国内でしか適用されないという立法主義であり、これに基づけばTwitterは米国企業であるため、日本の法律が直接適用されないことになる。したがって日本からは、米Twitterに「協力のお願い」しかできない。すでに現時点でも、米国には侮辱罪の概念がないため、協力が得られないことが多いとする指摘もあるところだ。たとえ現在は協力的であっても、将来的に責任者が変わる、方針が変わるといったことが起これば、いつも同じ協力が得られるとは限らない。

 先日も内閣官房デジタル市場競争本部から「モバイル・エコシステムに関する競争評価 中間報告」が出され、AppleやGoogleの独占的地位への法的介入が検討されているところだが、Twitterに対しても別の観点でなんらかの法的介入を行なうということも検討の余地がありはしないか。もちろん本来はTwitterが自ら誹謗中傷に対処するのが筋なわけだが、このまま放置状態が続き、多くの訴訟や自死が続いても、義務や強制力のない「協力」のままでいいのか。

Twitterとどう付き合うか

 Twitterがサービスを開始したのは2006年のことで、日本では2008年頃から流行し始めた。黎明期のことを覚えている人は少なくなったが、初期のTwitterはコミュニケーションを主体としておらず、一方的に発信したり、発信されたものをただ傍観するためのツールだった。誰かの頭の中から、考え中のプロセスが漏れ出してくる、そういうことを楽しむものだった。ツイートは時間の彼方に消えて、忘れ去られていくものだった。

 しかし「リツイート」が発明されると、発言を拡散する、あるいは拡散されることに重点が置かれるようになった。やがて「いいね」やリツイート数が、発言の重要性を示すと曲解されるようになっていった。

 Twitterを今のような形にしたのは、皆があまりにも「正しさ」にこだわることになったからではないだろうか。それは誰もが正しさを期待しない、かつての2ちゃんねるの反動だったのかもしれない。

 「正しさ」をものすごく単純に表現するならば、「悪しきものの反対側にいること」である。だから悪しきものに対しては、どんなひどいことをしても正義が成り立つと考えるものが出てくる。

 だがその「悪しきもの」は、誰の基準なのか。また当事者でもないものに対しても、それは「悪しきもの」なのか。法的に罰を受け罪を償った後も、ずっと「悪しきもの」であり続けるのか。人が積み上げたものを、横からつつき壊すのは簡単だ。生身の人間の人生をゲーム感覚で壊すほうが、「悪しきもの」であろう。

 頭の中のものが流れ出てしまうという構造だけは、Twitterの初期から変わっていない。多くのサービスは「○○離れ」が起こり、下火になるものだが、Twitterは飽きられなかった。そこがもやっとする気持ちの捨て場所であり、他に選択肢がないのならば、カジュアルな誹謗中傷はなくならないだろう。

 今からわれわれにできることは、誹謗中傷するものに近づかないことだ。そうしたツイートを見かけたら、Twitterに報告してブロックすればよい。そのような人物と関わりを持つことにリスクはあっても、メリットがない。好き好んで悪意に触りに行く必要はない。

 筆者はここ最近、Twitterでは古き良きおもしろツイートしかリツイートしないように心掛けている。そんなことをしても楽しかった昔には戻れないことは百も承知だが、筆者のフォロワーには、面白かった頃のTwitterを知ってほしいと思っている。

 何のために見ず知らずの人とつながっているのか。そういうことを今一度見直してみるべき時にさしかかっているのだろう。

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