ITmedia NEWS >
STUDIO PRO

なぜ日本の放送は「IP化」が遅れたのか 放送と通信の間にあるマインドの“ズレ”新連載:小寺信良の「プロフェッショナル×DX」(1/2 ページ)

» 2022年11月30日 17時00分 公開
[小寺信良ITmedia]

 11月からスタートする本連載では、テレビ放送システムや、番組制作におけるIP化の動きなどを報告していく。

 放送とIP、あるいは映像制作のクラウド活用については、すでに2015年ぐらいから日本でも検討が進んできた。ところが2020年からコロナ禍となったことから、急速に注目されるようになった。コロナ前とコロナ後では、明らかに「やりたいこと」も違ってきているし、その逼迫(ひっぱく)度というか温度差もまた違っている。

 しかしながら、現時点では放送システムのIP化は、これまでは必ずしもうまく行っているとは言えない。その要因として、個人的に大きな課題だと思っている事がある。それは、放送と通信では業界で当然とされる知識や考え方、いわゆるマインドが全然違うことから、話がまったくかみ合わないままで物別れに終わるというケースが散見されることだ。お互いが「あいつらなに言ってんだ?」と思ってきたわけである。

 初回となる今回は、放送の世界とIPがどのように接近していったのかの背景と、こうしたマインドの違いについてまとめてみたいと思う。

なぜ日本の放送はIP化が遅れたのか

 放送クラスの映像機器にネットワーク技術が持ち込まれたのは、下回りでは割と古い。すでに00年代前半には、リモートカメラの制御をIPでやるとか、スイッチャーのコントロールパネルをIPでつなぐみたいな機器もあった。制御系を、高価なマルチケーブルを使う代わりに安価なEthernetケーブルを使うという発想から、IPが使われたわけである。

 映像のIP伝送の可能性が議論され始めたのは、2007年頃のことであろう。メタル線ケーブルを使う現行方式のHD-SDI(以下SDI)では、伝送距離やデータ量に限界あることが見えてくると、つぎのステップは光ファイバーだとして、IP化の研究が始まった。当時はどちらかというと、長距離伝送にフォーカスされていた。

 話が変わってきたのは、「4K」の登場からだ。2013年に「東京オリンピック2020」の開催が決定すると、将来を見据えるなら放送設備は4Kベースという流れになった。

 ここで映像のIP伝送が注目された。従来のSDI接続では、4Kの伝送はメタル線の等長ケーブルが4本必要になる(Quad Link)。4Kは12Gbpsなので、3Gbpsが伝送できるケーブルを4本束ねればよいという考え方はシンプルではある。だが全ての取り回しに4倍のケーブルが必要というのでは、スポーツ中継でブースを仮設するにも4倍の結線が必要となる。また中継車にも4倍のケーブルを搭載する必要がある。ケーブル重量のせいで積載量をオーバーするという懸念も出てきた。

 それをIPで伝送すれば、ケーブルは1本で済む、というわけである。ただし当時主力のネットワーク装置は10GBASE-Tであり、4K/60pの非圧縮映像(12Gbps)を伝送するには、圧縮しなければならなかった。これまでのSDI伝送は非圧縮であったことから、圧縮伝送に対する不信感があった。

GrassValleyによるIP4K伝送の説明資料(Inter BEE 2015)

 一方で、伝送限界は3Gbps程度といわれていたはずのSDIが、スピードアップしてきた。オーストラリアのBlackmagic Designが、独自規格として6Gbpsが伝送できる6G-SDIを開発。さらに2015年に倍の12Gbps伝送可能な12G-SDIを立ち上げると、「SDIのままでも4K行けるんじゃないか」という機運が高まった。

Blackmagic Designから登場した12G-SDIのコンバーター(Inter BEE 2015)

 当時IP伝送の世界では、国際規格の「SMPTE ST2022」、ソニーの「NMI」、Evertzの「ASPEN」が覇権を争ったが、決め手がなかった(Newtekの「NDI」はまだ4Kをサポートしていなかった)。そこに12G-SDIが登場したわけだから、違う技術に入れ替えるより使い慣れたSDIのほうが無難として、4K本放送が始まる2018年前には、日本の放送局の大半は12G-SDIを採用した。

Quad Link SDIとNMIを両方サポートしたソニー4Kライブスイッチャー(Inter BEE 2015)

 日本は2020年の東京オリンピックを控え、世界最速で4K放送の実用化に踏み切ったことで、IP伝送の成熟を待てなかった。実際にはオリンピックはコロナ禍で1年延期になっており、最初から1年違っていればあるいはIP化の線はあったかもしれないが、それは今さら言っても仕方がないことである。こうして日本の放送は、世界のトレンドであるIP化行きのバスを見送ることとなった。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.