この提言がターゲットにしているのは、2030年に予定されている学習指導要領の改訂だ。学習指導要領はおよそ10年に1回しか改訂されず、前回の改訂は2020年だった。改訂はあと6年後、ということになる。改訂後は小学校から高校まで1年ずらしながら実施されるので、中学で新学習指導要領が実践されるのは、2031年ということになる。
この年の中学1年生が社会に出てくるのは、高卒なら2037年、そこから4年大学に行くと2041年、工学系は大学院に行く人も多いのでさらに遅れて2043年。
日本におけるAIの活用目的は、超少子高齢化社会となる国の没落をカバーすることにある。こうした社会問題は2040年問題といわれており、即戦力になる子が社会に出るのが、ギリギリ間に合うかどうかぐらいのタイミングである。
その一方で、AIはいつまでも今のAIの姿をしているわけではない。その先にはAGI(Artificial General Intelligence - 人工汎用知能)の時代、ASI(Artificial Super Intelligence-人工超知能)の時代がくるとされている。
ASIは人間の知能を超え、社会は人間が理解できない速度で変化する「シンギュラリティ」と迎えるという。その時期は、2045年と予想されている。
これを考えると、今から6年後にこのような改訂があっても遅すぎるんじゃないか、と感じる人も多いのではないだろうか。ASIのタイミングに間に合えばいいということではなく、それまでにAI人材不足が解消されなければ、日本はそこまで自力で到達できない可能性もある。
学習指導要領に頼らず、それ以前に学校でAIを扱うのであれば、文科省が出している「初等中等教育段階における 生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」を根拠に進める事になる。これは2023年の夏休みを前に緊急で出されたものだが、現在はこれを見直すとして、専門家会議がスタートした。24年の冬頃には新しいガイドラインがまとまると見られている。うまく行けば、2025年度から新ガイドラインを根拠に、パイロット校以外でもAIを教育に取り入れる学校が出てくるだろう。
もっとも早急に手を入れるべきは、大学だ。大学教育は学習指導要領やガイドラインに縛られず、各校で独自の教育が可能だ。よって一般教育課程からAIに関する科目を設置することも可能なはずだ。理系はもちろん、文系でも今後はデータサイエンスやAI分析は避けて通れなくなることを考えれば、専門課程でも積極的にAIを取り入れたカリキュラムの再編は必須だ。またこうしたAIに強い大学であることのアピールは、学生の取り合いとなっている現状では大きな差別化要因となりうるだろう。
すでに社会に出た人に対しては、AWSやリートンのような企業が提供しているプログラムもあるが、それに加えて大学の通信教育等でもITやサイエンスを学びたい人を受け入れる体制も必要だ。これは単に企業や大学がカリキュラムを用意するだけではなく、企業側も有給の整備や学習資金負担といった支援を行う仕組み、そしてその取り組みへの減税といった社会制度も必要だ。
今日本のAIやデータサイエンスの開発・活用は、「できる人がやっている」だけであるが、圧倒的に人数が少ないわれわれ日本は、それだけでは厳しい。AIの発達によって少ない人数でも社会が回るようにするには、その前段階で「その環境にシフトさせる人材」が大量に必要になる。
25年度から大学で人材育成をスタートしても、その子らが社会に出るのはさらに4年後だ。つまりここ5年ぐらいが、まさに正念場になるのではないだろうか。
ではそんな人材が、どこにいるのか。そう考えると、60歳で定年したが年金もらえるまであと5年あるみたいな理系工学系プログラム系の人達は、その間をつなぐバッファーの役割を果たせるのではないだろうか。専門的に3カ月から半年トレーニングすれば、それなりにものになり得る能力がある。
60過ぎのオジイチャンにAIは無理だろう、と思う人も多いかもしれないが、筆者がちょうど60歳である。隠居するにはまだ早い。かつてこの連載の編集を担当していた松尾公也氏は現在64歳で、AIサービスを駆使した活動が評価され、昨年Internet Media Awardsのメディア・イノベーション部門賞を受賞している。年齢は問題にならないはずだ。
AI対する学びの場の提供は重要だ。その一方で、この話は時間が限られると考えるべきだ。国策に任せるだけでなく、民間の意識とパワーをそこに回す必要がある。
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