筆者は前作ならびに本作でシニアプロデューサーを務める野口光一氏、本作でモデリングスーパーバイザーを務める久目健人氏ならびにメカモデラー/エフェクトスーパーバイザーの橋本豊和氏にもヒアリングを行った。「楽園追放 心のレゾナンス」の制作にあたっては、前作「楽園追放-Expelled from Paradise-」で用いた、キャラクターやメカ、プロップ(小道具)の3DCGデータを一部を変換・加工して用いる手法を採用している。
「楽園追放-Expelled from Paradise-」は米Autodeskの3ds Max(以下Max)で制作されているが、前作のデータをそのまま現在のMaxで開いて用いることは難しいという。その理由は(1)ソフトウェアならびにプラグインのバージョン、(2)データの再現性の2点となる。
言わずもがなだが、ソフトウェアは対応したOS上でなければ正しい動作が期待できない。また3DCGソフトは、ソフトウェア本体の機能だけでなく、プラグインと呼ばれる拡張機能を用いてより豊かな表現を追求することが一般的におこなわれており、「楽園追放 心のレゾナンス」ではセル画表現を可能とするレンダリングプラグイン(Pencil+)が採用されている。こういったプラグインは、ソフトウェアの特定のバージョンにひも付いており、作成したデータも、ソフトウェアとプラグインのバージョンをそろえたうえで制作をすすめなければならない。
「楽園追放 心のレゾナンス」の制作に際し、前作のデータを正しく開くためには、データが保管されているフォルダ構造も含め環境を整える必要があったが、Maxの開発元であるAutodeskは既に当時のバージョンを提供しておらず、これらの条件を満たす環境を保全していた別のスタジオに変換を依頼する必要が生じたという。作画アニメーションでも指摘されている中間成果物の保管や活用が、3DCGの導入が進むアニメ制作の現場で新たな課題となってきていることも見えてくる。
――本作の技術的なトライアルについてももう少し詳しく教えてください。
水島:今作のバトルフィールドは、作画アニメーションとは全く違うアプローチで制作しています。作画アニメでは「空間把握をレイアウトで作って行く」という手法が一般的ですが、今回は広大な空間を3Dモデルで構築し、その中でキャラクターやメカ、カメラを自由に動かしています。アニメーションスーパーバイザーと相談しながら、距離感を調整し、カットごとに見せたいレイアウトを決めていくんです。
3Dアニメーション映画を作る際に、広大な開けたフィールドの空間全体を3Dで作り込むというのは、日本ではコスト面などの問題からまだあまり例がありません。そこは手がつけられていない領域なんですね。しかし今回は、映画の中に4箇所ほど、そういったシーンが登場します。
実は、野口プロデューサーから、「日本の3Dアニメーションはキャラクターの動きをつけるのはうまくなったけど、本来3Dでやるなら空間全体を表現すべきだ」という話があったんです(参考:野口Pが手掛けた「正解するカド」についてのインタビュー記事)。彼はもともとVFX出身なので、コストの問題はあるけれど全部3Dでやりたい、という夢があったんだと思います。
つまり、日本のアニメは3DCGで背景を作るのが苦手なんじゃないか、と。だから今回のプロジェクトでは、全部じゃなくていいから、何箇所かで3DCGの背景に挑戦したい、ということになったんです。屋内を3DCGで作るのは、他の作品でもよくやられています。でも、野口プロデューサーは、もっと広大な空間を3DCGで表現してほしい、と言っていました。
最初のティーザーPVのラストカットを思いだして欲しいのですが、カメラがクレーンアップしていくと、広い空間が広がっていて、奥の方に大きな穴が空いているシーンがあります。実は、僕の最初の絵コンテでは、最後はガブリエルのアップで終わっていたんです。でも、野口さんが「3DCGで広大な背景を作りたい」と言い出して、「えー!?」って思いながらも、1カット描き足しました(笑)。
そこにさらに、モデル制作中に野口さんから「イチから背景モデルを作るのではなく、実写の映像を撮って、それを加工するプロセスはどうか?」というアイデアが出て、ロケハンで撮った風景に加工を加え馴染ませる方法論と一から背景モデルを作る2つの方法を試す実験的なシーンになりました。野口さんが実写経験が豊富なのでその手のロケハンはお手の物だったので、すぐに八ヶ岳に映像を撮りに行くことにもなったんですよ。
――確認なのですが、監督ご自身が作画アニメや従来の3DCGアニメでの作り方(カメラレイアウトに応じて必要な箇所だけ作りこむ手法)に、否定的というわけではないのですよね?
水島:いえいえ、そんなことはありませんよ。そういう作り方も散々やってきましたから。むしろ、広いところを全部、同じクオリティーで、例えば街1つをガッツリ作って、その中でキャラクターの配置などをどんどん決めていって撮ると、絶対にうそはないんです。絵作りについても、意外とレンズの選択で何とかなっていくというのは、過去にいろいろ作ったアニメの経験からいえることです。
仮に狙ったレイアウトにならないとしても、実写だって実際にモノの位置をずらしたりしますよね。つまり、自然に見えればいいんです。うそに「見えない」絵を作ればいい。3Dであろうと作画であろうと、それは可能なんです。
ただ、作画の場合はレイアウトを取る人の画力に左右されますよね。3Dだとモノはそこに全部あるので、レンズの選択とカメラの位置をグリグリ動かしていれば、そのうち気に入る絵が見つかる、ということもあります。散々作画で「難しいな」と思ってきた僕たちからすると、意外と3Dで取りたいレイアウトが取れるぞ、と感じますね。前作の「楽園追放 -Expelled from Paradise-」でも、それは特に感じました。
作画は画力が高い人ならすごい絵になるのですが、今は人材が不足していて、なかなか難しい状況です。
――庵野秀明監督の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(21年)の制作風景も思い起こされます。実際に役者さん(モーションアクター)たちに演技してもらいながら、カメラの位置、レイアウトに非常に拘っていました。水島監督もかつてエヴァでご一緒されたご経歴をお持ちですが、影響がなんらかあったりはしますか?
水島:「新世紀エヴァンゲリオン」(95年)のときに庵野さんと一緒に仕事をして、演出家としての在り方を学びました。庵野さんに食事に連れて行ってもらって、いろいろ話を聞いたことは、今でも僕のベースになっていますね。
(参考:水島精二(3) 監督の仕事を見た『新世紀エヴァンゲリオン』 | Febri)
庵野さんがいなかったら、僕は間違いなく監督になっていません。その時に話してくれた「全てに関わるか、全て関わらないかの二者択一だ」という話は特に印象に残っています。庵野さんは全てに関わっていて、「それはそれで大変」なんて話もしていましたが(笑)。「大半の監督は下に預けるみたいな形になるわけだけど、そういうもんなんだよ水島君」と言われたのをよく覚えています。
庵野さんがエヴァをやっているのを見て、自分もそうありたいと思い、初監督作品の「ジェネレイターガウル」(98年)のときは、とにかく自分が全てに関わろうとしました。その後も何本も作品を作っていったり、各話演出で入ったりする中で、自分がコントロールした方がいいところと、信頼できるスタッフに任せた方がいいところが、自分なりに見えてきました。そうなってくると、信頼できるスタッフをいかに自分で集めるか、という考え方にシフトしていきましたね。
だからアニメーターともそれまで以上に仲良くするし、同世代の演出家同士で「面白いな」と思う人には会った事がなくてもなんとかコンタクトを取って参加を呼びかけたり、自分がやりたいとお願いして参加したりとか、そういうやりとりをして仲間を増やしていきました。
――そういった監督のキャリアのなかで、今作のチャレンジはどういう位置付けになりそうでしょうか。
水島:これまでお話してきたように、今回は実験的な要素が大きいですね。3DCG背景もそうです。前作でも実はそういったチャレンジをしたかったんですが、十分にできなかったんです。今作も結果的に空間全部をハイポリゴンで作るのは時間的にもコスト的にも難しいと判断して、4シーンに絞ってローポリゴンモデルでフィールド全体をまず作って、絵コンテと照らし合わせてカメラワークを決定し、実際に映像になる部分をハイポリゴンモデルに作り込む方法を採用しています。完成画面に近いモデルを用いてカメラワークをいろいろ試せるといいのですが、時間とコストの壁は厚く......100%理想通りにいく、というところまでは到達しないので、そこは今後の課題ですね。
とはいえ、理想がかなったとして、そのやり方はスケール感、つまり自分が空想していた空間的な広がりを、実際の縮尺で確認し表現できる、という3DCGならではのうそのない画を検証している面があります。その方法でできた画が一番大事かと言うと、そうではありません。結局、そこに外連味を足すためにアレコレうそをつく事もあるので。要は、正確な尺度の検証ができるという、そこを分かった上でより効果的な映像を作れる安心感、その保険を手に入れたくらいの感覚なんです。
では、作画アニメではこういうことができないかというと、そんなことはありません。リアリティーの担保の話でもあるので、例えばもし中村豊くん(立体空間でのアクションを数多く手掛ける名アニメーター)がまるッと全部やってくれるんだったら、僕のプランなんて放っておいて、演出意図を守ってくれるなら全部任せますよ! 「すごい絵にしてね」って。作画アニメーターはそんな個人技に優れた方が多くいて、運良く僕はそういう人たちと知り合えたのは大きな財産です。
若い頃からそういうスーパーアニメーターたちと仕事をして、彼ら一人一人の持つ個性あふれるすごいアクション、それを支える空間把握能力、カットの連続性といったものを目の当たりにしてきました。だから、正確性を担保できる3DCGとセンスオブワンダーなすごい作画アニメは別物だという考え方に思い至っています。
どうしても、3DCGで外連味のあるアクションを作ろうとすると、2Dアニメのアクションを参考に追いかけていくことになってしまいます。でも、3DCGならではの良さというものに、もっと目を向けていきたい。そして、自分が頭の中でふんわり思い描いているアクションをどう言語化し、アニメーターを刺激し、良い映像を作っていけるかいつも考えています。
3DCGで空間を作っておけば、レンズの選択とキャラクターの動きでリアリティーと説得力を担保できます。だから最初のレイアウトチェックの段階で、レンズ選択とカメラ位置、つまりオブジェクトの配置に気を遣いますね。そこでカット単位で漠然とカメラを置いてしまうと、「絵コンテで指定された芝居の間合いだと、ここでのこのパーツがこっちを向いているから、カメラはもう少し下じゃないと意図が伝わりづらいしね、と。更に次のカットのつながりもぼんやりして分かりずらいね」といった具合で、シーンで捉えた時に、後々細かいリテイクがものすごい数出てしまうんです。
もちろん、絵としては正確な方がいい。でも、本当に大事なのは、構図やキャラクターのシルエット、そして動きがもたらす印象です。最初にレイアウトを作ったときに漠然とレイアウトをとっていると、「それっぽい」絵にはなるんですが、そのまま詰めていくと、絵コンテの意図やカットの「決まり」------例えば、その決めのカットに向けて気持ちよい流れを作れているかどうか------といったところが追い付いていかなくなるんです。
情報としては全部そろってから判断した方が楽なのは確かです。でも、途中経過でちゃんと注意しておかないと、90%出来上がった後で「ごめん、カメラアングル違うわ」なんてことになったら、修正が大変になってしまう。だから、経験上、早い段階で五月蠅く思われても、意図をなるべくアニメーターに伝えて直してもらうようにしています。今まさに、その作業を始めているところです。
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